7月18日 つななぎ橋の開通
玉川町民の長年の悲願だった長谷と鬼原を結ぶ「つななぎ橋」が開通しました。
この橋の構想があがったのが昭和29年、なんと58年ぶりの悲願の開通となりました。
「つななぎ橋」の名は昔話から来ています。
昔鬼原と畑寺の境の峠に「綱なぎの大松」と呼ばれる松の木がありました。
名前の由来はいろいろありますが、その一つに楢原山頂にある奈良原権現の縁日に、牛馬の綱をこの松につないでお祈りすると牛や馬が大きく肥えると言われたのが始まりだそうです。
樹齢1000年近くある立派な松だったそうですが、昭和40年頃に枯れてしまいとても残念です。
橋の上から上流を見ると、蒼社川の水が美しく流れていました。
また、下流側も緑鮮やかです。
当時を懐かしく話してくださったのが、元玉川町長の村上忠美氏も渡り初めにいらっしゃっており、お話を聞くことができました。
「4地区が合併して玉川町になった時の合併条件がスタートで、以後町議会でも度々議題に上がり、歴代の総代さんからも何度となく陳情がありました。」
村上氏が課長時代、今は故人となられた総代さんが、お会いするたびに「課長さん今年こそはなんとか・・」と言われ、平成6年に町長の職に就いてからも「町長さんいつになったら・・・」と期待されながらも、なかなか実現できなく、申し訳なさでいっぱいだったそうです。
今回は、県が農村総合整備事業として本腰を入れてくださったおかげで、開通の運びとなり「本当に涙が出るくらいうれしい」と話してくださいました。
「つななぎ橋はこれから交通面はもちろんですが、防災面、救急面などに大いに力を発揮してくれるものと期待しています。」
と語って下さった村上氏の遥か後方に、晴れやかにくっきりと楢原山が見えて共に開通を祝ってくれているようでした。
2012年7月18日| Category:玉川のニュース