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玉川めぐり隊

千疋峠を歩く

少し前の話ですが、活性化の有志で、長慶天皇が鬼原、鈍川、千疋峠を通って楢原山に落ち延びたといわれるコースを 辿ってみました。
牛追い橋はありますが、乗っていた馬が斬られたとの地名「馬きり」は、はっきりとは分かりませんでした。
途中、こんなかわいい冬桜が咲いていて、感動しました。

また、少し行くとたわわに実った柿などが、いかにも里山の雰囲気をかもし出していて、 皆「やっぱりこんんなとこがええよねぇ」という声が。

でも、 イノシシやサルも渋柿はいらないようです(笑)
玉川地域活性化推進協議会が立てたピンクの看板を目印に、登山道に入ります。

途中鹿の糞があり、フンフンフ~ン鹿の糞などと口ずさみながら進みました。

長慶天皇が都を懐かしんであろう桜の古木は見ることはありませんでしたが、 源流の方達が植えた、桜やもみじが確実に育っていて、これからが楽しみです。

いつかウォーキングコースにいれたらいいと思いました。
しかし、一部崩れかかって、危険な箇所もあるので、整備が必要なようです。今は予算が無いようですが、ちゃんとした計画を立ててみて、要望できるようにならねばという話も出ました。
とても清々しい気持ちになれるウォーキングでした。ひとりでも多くの方々に知っていただき、健康作りに役立てたりする方法を考えていけるといいなぁと思います。

庄屋さんの柿

玉川の葛谷の庄屋さんの柿はとても有名です。
この柿は、民話にも出てくる柿で、鬼原、御厩(みまや)の庄屋さんの柿はもうありませんが、ここ葛谷の服藤さん宅の柿は今も実がなります。

棟瓦も立派な屋敷の奥にある高さ20mに余る老木です。


樹齢400年はあろうかと思われます。

服藤家23代当主の賢彦(まさひこ)氏に伺いました。

今治城築城のおり、人夫をたくさん出したお礼に藩主から賜ったものだそうです。

当時は、甘柿と渋柿が1本の木に実る大変珍しい木でした。

実がなったら地元の人たちに分け与えるように、しかし枝は1本たりとも折ってはならぬと厳しく言い伝えられてきました。

今もそのことは受け継がれており、盆栽を大きくしたように四方八方に伸びた枝は邪魔になるときもあるが、一切手を入れていません。

小さいころはたくさんの実がなり、近所の子らと柿の木にのぼって採ったものです。
今でも100個余りの実をつけますがほとんどが渋柿だそうです。

だんだん弱って、あちこちにつっかえ棒をしてもらい、あらん限りの力で実をつけている様は、胸にせまるものがありました。

木の側には、玉川町指定天然記念物の石碑がポツンと立っていました。

また、庄屋さんのお宅の屋根の棟瓦はとてもめずらしく、印象に残りました。
庄屋さんは、新しくするか直すかしたいけれど、なかなかしてくれる人がいなくて・・・と話されていました。

いや~、この古さがなんともいえず、いいですよね。また龍のめずらしいこと!
こうした職人技も、伝承していってほしいなぁと思いました。