四季の徒然 « 玉川ブログ

四季の徒然

歳神様をお迎えする準備

奈良原神社で、歳神さん(としがみさん)をお迎えする行事があるというので、スタッフも同行させていただきました。
神社総代さんと鈍川木地に住む氏子の門田さん(門田さんについては「この人に聞く」で紹介予定です。お楽しみに!)、宮司さんご夫妻と私たち飛び入り3名で楢原山の山頂(1042m)にある奈良原神社をめざしました。

毎年注連飾りを作ってくださるという91歳の氏子の門田さんが最高齢で、かなりの平均年齢の高さです(笑)

年の瀬に山に登り、神事を守り続けておられることに、大変感銘を受けました。同行させていただいて、とても身の引き締まる思いがしました。

寒さの厳しい日でしたが、山へ向かう途中でも雪景色。神聖さが一段と増しました。

今年初めての雪景色に感動して、「わぁっ、雪の花!」とか、「ダイヤモンドをちりばめたみたい!」とか喜んでいたのは、つかの間。

新雪を踏みしめて登っていくと、だんだん手はかじかむし、足元からはさすような冷え込みがおそってきて、とても大変でした。

寒さの中、「おしめあげ」と「大祓」の行事を執り行い、お正月を迎える準備ができました。

清々しい気持ちで、今年一年のお礼と、来年もどうかお守りくださいと手を合わせました。

本当に貴重な経験をさせていただきました。
歴史と自然がいっぱいの楢原山にひとりでも多くの人が訪れてくれるといいなぁと思います。感謝の気持ちで山を下りました。

学校。の役割

いつもはひっそりしている廃校になった鈍川小学校の校庭で、なにやら賑やかそうな声が聞こえてきます。
旗なんぞ立っていて、いったいなんだろう?と思って寄ってみました。
鈍川の先輩達が毎週水、土曜日に集ってグランドゴルフをしているそうです。

ここには、旧鈍川小学校二宮金次郎像台座もあります。
これは、国指定の文化財として登録されており、当時の校長先生をはじめ、先生方や児童が学校の下の玉川から医師を拾い集めて、富士山のように積み上げたもので、底辺が4メートル、高さ3メートルの玉石石の三角錐状の台座です。
正面には「恩」の時を刻んだレリーフも積み込まれています。
現在、小学校の統廃合が検討されています。学校はもちろん教育機関ではありますが、小学校というのは高齢者も子どもも歩いて行ける距離にあり、特に田舎では教育機関だけの機能ではないこうした地域住民のふれあいの場でもあるのが現状です。
1度なくしてしまったら、なかなか再開はできません。
何か有効活用はできないか・・・・・。学校という建物を柔軟に活用してそこに住む人たちのコミュニティづくりの場にもなることはできないものでしょうか。
他の地域では、廃校を利用したカフェなどで、昭和の学校給食をメニューとして運営して町おこしに活用したり、文化交流施設として活用したり、障がいを持つ人の作業所として活用したり・・・いろいろと取り組まれています。
「文部科学省 廃校リニューアル50選」のページへ

地元の学校の存続は、子どもたちやその家庭だけでなく、地域全体の課題でもあるのです。
今一度、私たち玉川の学校も住民みんなで再考してみる必要があるのではないでしょうか。

玉川ダムの風景

11月末の玉川ダムの風景です。

「玉川ねっと」の「玉川ダム」のコーナーを更新しています。

玉川ダムの湖底に沈んだ懐かしい風景の写真を入手しましたので、ご覧ください。

昭和30年代に入って、今治市の急激な工業の発展と、人口の増加によって水需要が急激に増加し、県と今治市は蒼社川開発計画に基づいて玉川ダムの建設に乗り出しました。
3年余りの長期にわたり、計画地域住民及び関係機関との調整が行われた後、昭和43年(1968年)6月から本格的な建設工事に着工。
44年3月には鍛治屋集落30戸全部、妙見前集落39戸、小川集落3戸の立ち退きが完了し、44年4月には龍岡小学校を廃校し、保育所や公民館など関連公共施設が移転されました。
この湖底に当時は人々の暮らしがあったということは、今では想像するしかありません。

写真を見て、懐かしいと思う方、今まで知らなかった・・・と驚かれる方、いろいろだと思います。
玉川ダムは、今治市民の水瓶として大きな役割を果たしています。

皇帝ヒマワリとダリア

皇帝ダリやと皇帝ヒマワリが長谷の村瀬さん宅に咲いてました。


両方ともメキシコが原産だそうです。ダリアのほうは18世紀スウェーデンの植物学者のDahlダールさんの名にちなんだそうです。

ダリアは下を向いて咲いているので写真が撮りやすいのですが、ヒマワリはやはりお日様のほうを向いているのでうまく撮れないですね。


ヒマワリはまだ珍しいので道行く人が車を止めては写真を撮っていくそうです。

亥の子さん


玉川には「亥の子」(ごうりんさん)という行事が残っています。
旧暦の10月の最初の亥の日にごうりんさん(いのこ石)をつきます。

昔、イノシシやモグラが田畑を荒らして困っていたことから、石で土をついて固めたことが最初だと言われています。

ごうりんさんは、田の神、男子の神としてまつられており、その年に男の子が生まれた家が宿となって子供たちが集まり、豊作と子孫繁栄をお願する行事です。
写真は11月10日(土曜日)の高野での亥の子の様子です。


去年のお宿がごうりんさんを預かっているのでそこに集合します。
そして1軒づつついてまわります。ちなみに高野の集落は約60軒ほどあります。
本来は、子供の生まれた家が今年のお宿になりますが、今年はお宿をしてくれるところ(子供の生まれた家)がないので、子供たちは最後は集会所に集まりお菓子などの接待を受けます。

12月8日に2回目をついてまわり、9日には1軒づつに配りものをして回ります。
他の地域では、亥の日でなく、土曜日や日曜日に変更して続けているところもあります。
また、昔は女の子は参加できませんでしたが、子どもが少なくなって女の子もついているところもあります。
今も昔も子供たちにとっては楽しい行事です。
「玉川ねっと」では、これから先、亥の子さんをつきながら、歌う唄も集めていきたいと思っています。
ぜひ、ご協力をお願いします。