第10回 池内 小百合氏



池内小百合氏

池内さんのお宅を訪問した日、川沿いの庭には、蝋梅の花がきれいに咲いていました。池内さんは、春の陽ざしのようなこぼれるような笑顔で迎えてくださいました。

池内さんには地域コミュニティづくりの指導者としてお世話になりました。そのほか、さまざまな活動をされて、町内外でご活躍されていますね。今日は、若いころから現在までの活動を教えてください。



問1 池内さん、いくつになられたのですか。生年月日を教えてください。

池内さん:
昭和5年3月7日です。今日で満83歳になりました。今日は、コミュニティ推進後継者の方が来てお祝いをしてくれたんですよ。とてもうれしかったです。また、このように玉川地域活性化推進協議会の皆さんも話を聞きに来てくださって、活動を振り返ってみることができてうれしいです。

問2  中村コミュニティ推進会の起こりを教えてください。初めの取り組みには、ご苦労があったと思います。当初の苦労話や長年の活動を通しての感想、楽しい思い出などをお話しください。

池内さん:
私はコミュニティについては何も知りませんでしたが、前任者から「説明会に行ったらわかるよ」と言って任されました。今になって思えば、わからんでよかった。(笑)「ああせい、こうせい」と言われたらできんかったと思います。
戦前はカタカナ語が禁止でポケットは「物入れ」という時代に育ちましたから、コミュニティが何かわからなかったけれども、調べるとコミュニティは「町づくり」、ボランティアは「奉仕」のことだとわかり、それだったら委嘱されたら自分のできることだけでもやらせてもらおうと思いました。 それまでも鴨部地区婦人会長をしていましたから、その会員さんたちにも声をかけてプリントを作ってお知らせしたら、ほとんどの人が「できる範囲で協力しましょう。」と言ってくれました。総代さんにも協力をお願いし、学校にも掃除のことなどをお願いに行きました。コミュニティでは、初めはお寺掃除などをしていましたが、そのうち地区内の空き缶拾いや集会所の掃除などをやるようになりました。
苦労というのではなく、会のみんながしてくれてそれで私を鍛えてくれたと思っています。また、手作りの何かをということになり、パッチワークや刺し子などもすることになりました。会員の人が何を作ろうかと考えてくれて、考えがまとまったら、私も一緒に買い物に行きました。そして、できた作品をふれ愛まつりに展示させていただきました。 会の名前を「コミュニティすみれ会」にしたのは、すみれは、花びらと花びらが合わさっている、その姿がコミュニティに重なって、よいと思ってつけました。
20年ほどしたら、県からコミュニティ活動が浸透したからやめてもよいと通達がありました。続けるとしても自主運営になります。「やめたいし続けたい」と思いました。そこで、これまでの活動の中からやりたいことだけを残して自分たちのできる範囲でやっていくことにしました。名前も「中村すみれ会」となり、それから10数年過ぎました。

問3  後継者を育て、見守り役としてお世話されていることは、私たちにとってお手本です。活動への思いをお聞かせください。

池内さん:
私は、県の研修会で話を聞きに行った時に、「リーダーというのは、自分が全部するのではなく、そのうちのなんぼかの責任を会の人たちにも負わせ、それをまとめていくのが大事」と言われ、なるほどと思ってこれまでやってきました。 町内のイベントにはできるだけ参加してきました。福祉センターのお祭りや瑞鶴荘の慰問などもしてきました。長続きできるのは、会の人たちの温かい思いやりがあったからこそです。コミュニティ(町づくり)は、こちらが呼びかけてではなく、一戸一戸の家の中から小さいぬくもりができて、その思い(愛情)が集まってできるのだと思います。 
「中村すみれ会」が今も続いているのは、後継者が育ち、会員の皆さんの理解と協力があったからです。 もう15年も前、活動のまっ只中、仙遊寺さんからもらった蝋梅の苗を庭に植えていたのを道の横に植え替えたのが、きれいに咲いています。暖かい光や雨や風にあたり、大きな花になって「がんばりよ。」と私を励ましてくれています。
 今でも家にみんなが集まってきてくれます。ミシンを使っていると、みんなから「池内さん生き返っとるね。」と言われます。ミシンは、いいのを買っているから、ごつい生地でも何でも縫えますよ。

問4 コミュニティ推進会の前には婦人会長をされていたんですね。

池内さん:
地区(中村)の婦人会の副をして1年のちに鴨部地区の会長になり、町の連合会の会長にもなりました。中央に行ったら、「機関紙『ふれあい』の原稿を書いてください」「会長だから挨拶してください」とよく言われましたが何とかやってきました。
スタッフ:
基礎ができていたから、役もこなせていけたんですね。
池内さん:栄養推進会の会長にもなって、給食サービスなどもやりました。手作りのおはぎやお寿司を配ってお年寄りに喜んでもらってうれしかったです。
スタッフ:
町のイベントには、いつも生け花を出していましたね。生け花の先生ですね。
池内さん:
はい、いろいろな方が習いに来られました。その中に農協の方がいて、「先生の生きがいを書いてくれますか?」と頼まれて出した作文が新聞に載りました。(スタッフにも、この時の原稿を見せてくださいました。生け花に対する真摯な姿勢はもちろん、温かいお人柄が伝わる文章でした。)
スタッフ:
玉川町の芸能大会でも、大きな花を生けてくださいましたね。
池内さん:
はい、歌(詩吟)や書道の間に花を生けるというのもやりました。3分間で花を生けなくてはならないのでたいへんでしたが、おけいこの人たちと一緒に何度も練習してやりました。発表の時は、舞台衣装にみんながたんすにしまっておいた着物をあれこれ出して着たので、着物も喜んだと思います。(笑)

問5 池内様個人の趣味をご紹介ください。

池内さん:
うちでミシンをしたり和裁をしたり、花を生けることです。外へ出ていかずに、おけいこも、みんながうちに来てくれていました。ふれ愛まつりにも生け花を出展させてもらってよかったです。

問6 たいへんお若くてきれいでいらっしゃいますが、その秘訣を教えてください。

池内さん:
私が思うのは、みんながリーダーとして選出してくれて、自分で自分を磨けたから、それが自然に出てきたのだと思います。リーダーというのは、自分を磨くことが役割です。
それと、会員の人に「こうするんですよ」と言うと、みんなが「それじゃあしましょう。」と言ってやってくれた。それがよかったと思います。 老人会の人たちが毎年9月に草刈りをしていましたが、ある年、雨がふってきたので「寒いですね。お茶でも飲んでください。」と言って出したところ、たいへん喜ばれたので、次の年からは、炊き込みごはんなども作って喜ばれました。

また、2月8日には、集会所で医王寺の住職さんをお招きして針供養をしましたが、その時、手作りの袋に住職さんからいただいた「叶う数珠」とお菓子を入れてお接待しました。それから、毎年ではありませんが、大晦日に地区のお寺やお宮にお参りに来た人にも袋を縫ってお菓子を入れ、年頭のあいさつの言葉も入れてあげました。たったこれだけの袋だけど、幸せがいっぱい詰まっていると思います。
スタッフ:
何か物をあげる時も、袱紗のかわりにこれに入れてあげるといいですね。いいお接待ですね。

問7 これから、玉川町に望むことをお聞かせください。

池内さん:
いろんなイベントをして、みんなが集まってくるのがいいと思います。

問8 日々のくらしで気をつけているのは、どんなことですか。

池内さん:
朝、お寺からもらったお札におちゃとをして、神さんにごはんをおいて「ありがとうございます。」とお祈りしています。そして、毎朝、朝日が出るころ外に出て、お寺のほうを向いて「今日一日元気でがんばらせてください。」と言って3回深呼吸して朝がはじまります。
ひ孫の体操服の袋やぞうきんを縫うのが楽しみです。昔は、ぞうきんは使い古したタオルを使っていましたが、今は新しいのを使うということで、かわいいのを選んでいます。「ひ孫のぞうきん縫って生き返る」というところです。また、家族のみんなが「すそ上げて」「ファスナー直して」と持ってくるので、それも直してやって楽しんでいます。
スタッフ:
(針仕事をされますが)めがねをかけてないですよね。
池内さん:
白内障の手術をしました。それで、めがねをかけなくてもよく見えるようになりました。

問9 最後にひとことお願いします。

池内さん:
みんながコミュニティの心でがんばっていい町づくりをしてほしいです。そして、それぞれの家で努力して、家庭をよくしてほしいです。皆さんとの今日の出会いを本当にうれしく思います。言いたい事をお話できてとてもうれしいです。 私は、地区の人たちの温かい心に支えられてがんばっています。たいへんありがたく感謝しています。

お話をうかがったお部屋は、会の皆さんが気軽に集まって作業をする場所ということで、愛用のミシンとともに、様々な素材の布やはぎれがたくさん積んでありました。今でも「何かに使って。」といろいろな布が持ち込まれるそうです。ご夫婦の記念写真も飾られ、ご自身の小さいころの写真も大切に保存されていました。好きな物に囲まれて、おだやかに微笑まれる池内さんはとても幸せそうです。

新しい時代のコミュニティづくりは困難なことも多かったと思いますが、池内さんは、そのたびに自分を磨き、愛情と信念でまっすぐに立ち向かってこられました。池内さんが地域に蒔いた種は、会員の皆さんに引き継がれ、りっぱに芽を出し育っています。
人が集うこの家には、池内さんの魅力があってこそと思いました。これからもお元気で地区の皆さんの活動を支えていただきたいと思います。