第7回 井出龍子氏



井出龍子氏

秋たけなわの10月29日、お邪魔した畑寺のお宅は、満開の菊が私たちを迎えてくれました。

問1  井出さんと言えば、看護婦さんとしてお世話になった町民も随分いると思いますが、長年白衣を身に着けることになったきっかけや、思い出話などお聞かせ下さい。

井出さん:
小学校3年生の時でした。
両親が風邪を引いたとき、看護婦さんや家政婦さんの懸命な介護の様子を見て、 私も大きくなったら看護婦さんになって、病気の人を助けてあげたいと思ったのが きっかけですね。
結婚や出産、育児と続いたときは、女性なら誰もが悩む、仕事と家庭の両立という壁に当たりました。しかし、両親の理解や職場の上司のアドバイスのおかげで、気が付けば50年もの長い間現役で勤めさせていただきました。
町営の診療所が小林医院になり、先生亡き後台湾、中国などの外国の先生にお仕えした時は、医療の違いに驚いたものでした。その後、山内病院、市民病院、大西病院と移りましたが、大西病院での最後の5年間は人間、美味しく食べて健全に出せることが命に関わる一番大事なことだと気づかせてもらいました。
それにしても医学は日進月歩、今や開腹しないで手術ができる時代になり、この先どこまで変わっていくのか想像も出来ません。
でも、現場で働く人達の患者さんに対するナイチンゲール精神は、今も昔もこれからも、 変わることなく続いていくことだと確信しています。

問2  平成15年に退職され、はれて自由の身になっても、相変わらず多方面で活躍されお忙しそうですね。

井出さん:
そうですね。退職して先ず行ったところは、お墓でした。
50年もの長い間、勤めることが出来たのは、ひとえに家族の協力があったからです。
子育てから、地域の付き合い、農作業などすべて両親のお世話になりました。
よくぞ2足のわらじを履かせてくださったと、深々と頭を下げ心からお礼を言ったものです。
地域の活動にも参加できるようになり、地区の婦人会会長に始まり、栄養推進協議会、のちの食生活改善推進協議会の会長もさせていただき、事業の普及に努めました。
10年ほど前に愛媛新聞に取材していただいた「しし鍋」はとても評判がよく、つい最近も講師として招かれたんですよ。
玉川はイノシシがたくさん捕れるのでぜひ挑戦してみてください。レシピ通りにすれば柔らかくていおいしいしし鍋が出来ますから。
スタッフ
シシ肉をもらって調理するのですが、煮込むほど肉が硬くなって、なかなか美味しいシシ鍋ができないんですよね。 それを聞いて出してくださった本が愛媛新聞出版の「伊予の台所」です。
井出さん:
シシ鍋を作るようになったいきさつや、レシピが写真入で詳しく載っています。
塩を使うのが、他の地域とちがうところなんです。
スタッフ:
この通りすれば、柔らかくなるんですね。ためしてみましょう。
それにしても、この写真はずいぶん若くてかわいらしいですが、何歳のときですか?
小さい声で「68歳のときよ」の答が返ってきました(笑)

問3 その他イベントもいろいろされましたよね。

井出さん:
今治市との合併以前は、栄養推進委員さんたちと調理実習をしたり、一人暮らしのお年寄りには、町内各団体の好意によるお弁当の配布などもしました。 80食から100食くらい配っていたのですが、合併後は回数も減り有料になりました。
スタッフ:
私らも歳取ったらもらえると思っていたのに、残念じゃねぇ~。

問4 そのような活動が評価されたのが、あちらに沢山ある表彰状ですね。

井出さん:
恥ずかしながら、皆さんのおかげです。
最近のものでは平成23年10月14日の食生活改善事業功労者としていただいた、 厚生労働大臣賞があります。電話で知らせを受けたときは、嬉しさと同時に「一人のものではない。他の方たちの協力や支えがあっての賜物だ」と気づかせていただきました。
スタッフ:
ご夫婦で授与式に出席されたんでしょう?
井出さん:
いいえ、丁度秋祭りと重なり、おまけに組は当元を受けていましたので、神事を欠席などとんでもない、と思うと行けなかったんです。しかし、今思えば行けばよかったかも知れません。北海道の旭川なんてなかなか行けるところではありませんから。
スタッフ:
残念でしたね。

問5 ご自分の趣味として華道も師範の免状を持たれ、教室を開いていらっしゃいますね。

井出さん:
お花は子供の頃から好きでしたが、叔母の花好きにも影響されたと思います。 沢山の流派から小原流を選んだのは、教わった先生の人柄と品格に惹かれたからです。 看護婦の頃は職場のサークルがあり、和気あいあいの雰囲気の中で指導のようなことも いたしました。退職後も地域の方たちとのコミュニケーションづくりに役立っています。   
もうひとつ、お手玉は平成14年玉川町の愛好会として発足し、翌年にはグリンピアで開かれた東予フェスティバルに出場したのも、懐かしい思い出です。20名ほどの会員は、(60歳から90歳くらいまで)月1回の定例会で、お手玉を作ったり練習したりしていますが、若い会員の方が増えたら嬉しいですね。 「ぬくもりを手から心へ届けたい」をモットーに、たまっこらんど、保育所、小学校などへも出前をしています。 私自身の健康作りのためには、3つ振りを朝晩100回はふります。続けると二の腕が スッキリするとの話に、スタッフの目がキラリ☆と光りました。 他には婦人防火クラブの活動にも参加し、火災警報器の普及に力を入れました。 玉川町内で300個くらいは設置しましたが、作動しないに越したことはないですね。

問6 プライベートな質問ですが、ご主人と水入らずの今の生活はいかがですか?

井出さん:
食生活を規則正しくすることが、健康の秘訣だと思っています。そのことに気をつけて、お互いがいたわりあって前向きに毎日を送っているつもりです。 今、少し体調をくずして迷惑をかけていますが、主人はとてもよく気をつけてくれて 感謝しています。
スタッフ:
ごちそうさまです。

問7 最後に、これからの玉川町に望むことがありましたら、教えてください。

井出さん:
今治市に合併して、いいこともありますが、財政困難なおりとは言え、福祉、教育などの予算はしっかりと使って、小さな子供さんから高齢者までが、安心して住める町作りに役立てて欲しいと思います。

ことば通り優しいご主人は、そばで奥様のことをずっと見守っていました。

☆ 文中、看護婦の表現は現在は看護師が正解ですが、当時の呼び方で書いております。
☆「伊予のだいどころ」で紹介されたシシ鍋のレシピを載せておきますので、挑戦して見てください。

玉川ねっとの中の特産品料理のコーナーにも猪汁が紹介されています。 町内各地でレシピは微妙にちがいますが、こちらは畑寺部落に伝わっている 作り方です。