第9回 門田 勇氏



門田 勇氏

小雪の降る寒い日でしたが、12月19日の午後、鈍川木地にお住まいで大正11年6月生まれ満91歳の門田勇さんを訪ねました。

問1  門田さんが、木地に住むことになった縁を教えてください。

門田さん:
私は木地の住民でした。
私の家族は、上木地に住んでいて草葺屋根でした。祖父と父母と兄と私の5人家族でした。当時の木地部落の暮らしは、農業で生計をたてていました。田・畑・茶畑があり、田1反で米が5俵くらい採れましたが、炭焼もして、自給自足で食べていけた時代でした。
昭和4年に小学校1年生になりました。学校には大きな桜の木があったのが印象的でした。通学やお使いは自作のわら草履を履いて歩いて行きました。4年生の時、上朝の水の上にある上朝小学校前のトヨ店まで大人の人に連れられて、1升瓶に紐を付けて肩の前後に引っ掛けて石油や生活用品を買いに行きました。
スタッフ:
長い道のりでしょう。つらかったでしょう?
門田さん:
私が2歳の時、父が亡くなり、14歳の時母が亡くなりました。兄は学校を出ると同時に奉公に出され、その家の手伝い、私は子守と近所の大人に連れて行ってもらって買物をするのが当然でした。別に辛いとも思いませんでした。兄も優しく兄弟助け合う仲でしたが時には喧嘩もやりました。
母は私たちを大切に育ててくれました。この土地には母の思い出がいっぱいあります。兄が20歳、私が17歳まで上木地に住んでいました。私は、兄が居たお陰で、兄のように奉公に行くことなく母の元でわがままに暮らせたのです。母と兄には頭が下がります。
結婚後、桜井に住んでいますが、私のふるさとである木地で、母との暮らしの愛着が断ち切れず小屋を建てようと思いついたのです。
平成2年2月65歳の時から妻と桜井から通いながら、廃家を天井だけ、大工さんに頼みましたが、他は寄り付き寄り付き娘婿に手伝ってもらいながら私が改装しました。2年後の平成4年に小屋が完成しました。
スタッフ:
小屋というより立派なお家ですよ。

問2  住むようになってからのようすや思い入れをお話ください。

門田さん:
平成4年に道路改良があって、竹ケ成に橋が架かりました。横クラの道を造る時に土を入れてもらって、もり山になっていたのを押さえてもらって広場ができました。私は勝手に「むささびの里」と名付けて、この地を守っています。いつしか環境保全という使命感のような気持ちが湧いてきました。
アラタの傘桜が枯れてしまったことも気になっていたので桜の木を18年前に植えて、この桜を私は「勇桜(いさみざくら)」と名付けています。 
木地出身者を歓迎できるよう整備していこう。桜の元で花見会をしよう。盆踊りもしよう。集落での催しを再現したいと思い、次々と夢が膨らんでいきました。
スタッフ:
むささびは、このあたりに居るのですか。
門田さん:
居ますよ。私の小屋に何匹も住んで居ます。
人が来てほしい。それには「むささびの里」の環境整備をと山野草を両脇道に植えました。エビネらん・カッコウ草・山シャクヤク・雪のした・岩たばこなど山野草を広い範囲に植えつけました。
スタッフ:
山野草を植えていると心ない人が採られることも有ると聞きますが、育てることは大変な作業ですね。
門田さん:
採って帰る人もおります。まあ採りたけりゃどうぞ。また植えるのよ、と思っています。
スタッフ:
まあ、おおらかなこと。(みんな笑い)

問3 この広場での催しを紹介してください。

門田さん:
花見会は奈良神社春の例祭時、第3日曜日を予定していますが、桜の開花具合で花見会と併せて実施しています。昨年は、県外からも昭和30~40年頃に住んでいた人や2世など65名も集まりました。3年前まで盆踊りも続いていましたがこのところ断ち切れています。紅白幕を張って三味線・太鼓で口説きを踊りました。地元総代さん等が世話をして帰省客を迎えています。
今治芸能祭で三味線・太鼓で口説き「よいやな」を踊りました。もちまきもやりました
スタッフ:
郷土に伝わる貴重な芸能ですね。心意気を見せたのですね。
門田さん:
そうです

問4 門田さんのお家を紹介してください。

竹ケ成橋を渡ると すぐ山肌に自宅がありました。門先には山野草を植えてあり、沢山の寄せ植木鉢が並んでいて愛犬シロがおとなしく迎えてくれました。 玄関には、門田勇の表札の横に「むささび庵」とありました。 手づくりの露天風呂まであるし部屋の中央には囲炉裏も備えてあります。
玄関から両脇いっぱいに木工細工と木片やかまぼこ板に門田さんの俳句・川柳・短歌そして額には水彩画・水墨画に詩を描きとめられています。どの部屋にも門田さんのお人柄や希望・人生訓が凝縮されています。 「人の心は、鏡なり、己が心を写してやみん」など
勇 作詩 [故郷の歌]
  1. 幼な心の 思い出に
    此処は橋台 二つ橋 
    大川 小川に 分れてた
    広い中洲で かくれんぼ

  2. 俺の命の 在るうちは
    故郷愛し 竹ケ成
    春は桜に 秋もみじ
    夏は河原で 水遊び

  3. 木地の夜空 白むれば
    奈良原おろしの そよ風が
    さそいに来ます 山小屋に 
    うまい空気を 一人じめ

問5 苦労話&こぼれ話を聞かせてください。

門田さん:
千疋の桜は、国の名勝吉野に次いで第2番目の山桜の名所だとも言われていました。千疋峠の桜は、杉の木立の合間から見えてとてもきれかった。千疋の広場には大島桜が白い花を咲かせます。
今玉川近代美術館に保管されている国宝五輪塔等は奈良原神社境内で雨乞いの際に出土した品々です。玉川町が調査して引き取るまでの間一時預かりしていた場所は上木地「臍緒神社」址です。保管庫が出来るまでは、当時の総代さんや住民が交代で寝ずの番をしていました。

スタッフの「見に行きたい」との声で案内してくださいました。 門田さん:昭和11年4月20日「臍緒神社」に一時保管されていた品々を千疋峠の桜の名所で一般公開したんです。ちょうどその日は木地部落の「門脇神社」の春祭りだったので、村の青年が神輿をかき上げ、餅まき・福木投げと千疋峠は参観者が終日引きも切らず大変な賑わいでした。

問6 門田さんの趣味をご紹介ください。

門田さん:
趣味は多すぎて困ります。俳句・川柳・水彩画・水墨画・木工細工・山野草・炭焼き何でもしてきました。平成7~8年頃、福岡から外山あきら先生が来られて、泊まって、川柳を詠 んでくれました。何度も来るようになって、私もいっしょに川柳の勉強をすることができました。だが、4~5年前に他界されてしまいました。今は、ご冥福を祈るのみです。その後、私も退部しました。
スタッフ:
その先生が、来られたきっかけを教えてください。
門田さん:
外山あきら先生(番傘九州人間座を開いた人)のお母さんがこの中木地出身ということで、訪ねてこられたのです。いっしょに川柳の勉強をする機会があって良かったです。
80歳頃から始めたパソコンに溜めていた作品を、奈良原神社の宮司さんが選んでまとめた作品集を、米寿のお祝いの記念品として平成24年4月15日 春祭りの日にプレゼントしてくれました。

「生まれ来し鈍川木地に小屋を建て今日も登りぬ妻と二人で」
「野原に背比べしてるツクシンボ故郷が衣替えして俺をまち」
「通る度ムササビ君と声かけて眠れる君に詫びる心を」
「今しばし此の世にありて故郷の己が植えにし桜見とどけ」
「思い出は遠く離れし石小屋で炭木背負し母の面影」

スタッフ:
今日午前中、奈良原神社の恒例の行事である注連飾りをされたのですね。
門田さん:
奈良原神社の神社総代さんと宮司さん夫妻と私が、毎年お正月を迎える行事として、行っている「おしめあげ」と「大祓」を午前中にしてきました。
スタッフ:
私もご一緒させていただいたのですが、楢原山頂上1042mにある奈良原神社に近づくにつれ雪が多く積もっていました。門田さんの足どりは軽く元気でしたよ。雪景色の中をこのような行事に参加させてもらって身が引き締まりました。神聖な気持ちでもったいなさを感じる貴重な体験をさせていただきました。

問7 ここの暮らしの良さは何ですか。

門田さん:
清い空気と旨い水、この中木地に住んで、春は桜・山野草、夏は姫ボタル、秋はもみじ、冬は雪景色で自然の美しさは格別です。今年の紅葉は殊の外美しかった

仮称「山の駅 竹ケ成」
  1. そよ吹く風に 誘われて
    春は桜の 竹ケ成
    山の駅なる 山草園は 
    せせらぐ音に 河鹿鳴く

  2. 夏の夕闇 せまるなば
    山の上から 姫ボタル
    短い命 せいいっぱい
    彼をさがして 舞い狂う

問8 日々の暮らしはどのように過ごされていますか。

門田さん:
空気や水に恵まれ、無理せず、天気に問いながら行いを考え、思いを歌に詠んでいます。毎日小鳥のさえずり、川のせせらぎを聞き、自然の中で暮らし、自分の体の管理は自分で心掛けています。

問9 玉川町に望むことを聞かせてください。

門田さん:
「よみがえれ千疋峠」と言いたいです。
  1. 千疋峠まで遊歩道を作ること。整備して人が千疋峠へ来れる状態にしてほしい。
  2. 「山の駅」を造りたい。竹ケ成広場や山野草園を活用して人が集う場にしたい。
    「橋の歴史を記念して 広場に植えし勇み桜 今やつどいの場となりて 度を重ねる花見会」
  3. だれでも来れるよう、水源の森から上の道路を拡張してほしい。
    最近、足の骨折で年老いたと感じるようになりました。竹ケ成広場や道路などこの辺りの環境整備を若い人に引き継いで、出身者が集う伝統を繫いでいってほしい。

問10 門田さんの座右の銘は?

門田さん:
「念ずれば花開く」を座右の銘とし「勇桜(いさみざくら)」を昔の「アラタの傘桜」のように育てたいと思います。
それと「生涯現役」これからも、ずっーと目標をもって生きます。

門田さんは、鈍川木地の「生き字引」のような方でした。ふるさとを愛し、人を思い、その心を未来へと繫ぐため、孤軍奮闘中でした。すばらしき竹ケ成を後世に残したい。みんなの故郷を伝えたい。夢を心をつないでほしいと願っていらっしゃいます。
最近、お孫さんが買ってくれたパン焼き器で食パンを焼くそうです。飲み物はストレートのコーヒー、背筋はピンとしていて、まるで少年のようにはにかんで夢を語ってくださる門田勇さん「ようこそ むささびの里へ」とのお話でした。
歴史に埋もれたお話やご自身の暮らしぶりを、遠慮がちに、そして穏やかに語ってくださいました。どうぞ、お元気で夢を追ってご活躍ください。
また、奈良原神社の宮司さんご夫妻と門田文夫さんにもご協力いただきました。皆様ありがとうございました。