第21回 玉川中学校同窓会会長 越智 弘和 氏



髙野 友倫 氏

今年、私たちの町の中学校、今治市立玉川中学校は創立60周年を迎えました。現在まで約6000人に及ぶ卒業生が学舎を巣立ち、日本各地で、そして世界で活躍しています。全国でも中学校に同窓会があるというのは、とてもめずらしく、それだけ住民の中学校への思いが深いものだと想像します。

今回は、玉川中学校同窓会の現会長で、町内で株式会社 弘栄産業の代表取締役でもいらっしゃる越智弘和さんに玉川町や玉川中学校への思いなどを中心にお聞きしました。

スタッフ:
先ず、越智さんの簡単なご経歴をお願いします。
越智さん:
昭和27年に玉川町中村に生まれました。5人兄弟の末っ子でした。 家は農家をしており、よくお手伝いをさせられました。させられたというよりは、私にとってはあたりまえでしたが・・・。
冬は山へ割り木をとりに行ったり、風呂焚きをしたり、もちろん田植えや稲刈り、株切りとできることはなんでもしてましたね。 小学5年生か6年生の頃、耕運機を買ってくれて、これで田をすいてみろと言われたりもしました。
スタッフ:
中学時代はどんな感じでしたか?
越智さん:
中学時代は、委員長をしていました。中学1年生の時、東京オリンピックがあり、2年生の時に、中学校にもプールができました。それまでは、永代橋の下でよく泳いでいたものです。 また、柔道もしていました。小学校では畳を敷いて、練習をしていました。おかげで中学時代に体格もよかったです。
スタッフ:
柔道は玉川の子どもたちへもご指導されていましたよね。
越智さん:
まあ、スポーツは子どもたちにいいですからね。
そして学校を卒業して、松下へ就職し、今治へ帰ってきて10年経った頃に、起業しました。昭和62年のことでした。
子どもが学校へ入ってPTAの世話もさせていただきました。
スタッフ:
家庭の中では越智さんは、亭主関白なんですか?
越智さん:
そうかもしれません(笑)
スタッフ:
越智さんはPTA会長さんもなさっていて、そのことから中学校とも深くかかわってこられたのですね。
越智さん:
そうですね。そもそも玉川中学校は、昭和29年、龍岡、鈍川、九和、鴨部の4つの村が合併して、玉川村となり、旧村の4中学校は、昭和32年4月1日に統合して、玉川中学校が誕生しました。愛媛県で統合中学校の第1号だったんですよ。 校訓「和す・磨く・結ぶ」は、玉川の「玉」にちなんで、玉は和す、玉を磨き、玉は結ぶとしていたんです。校歌でも、「奈良原山の平和の光に高き理想を見つけ、蒼社の流れの清らかと力強さに学び、そして船戸の学校生活に友情を育てよう」という思いが込められていると聞いています。
スタッフ:
同窓会はいつできたんですか?
越智さん:
同窓会は、昭和33年会則ができ、平成2年に改定され皆に声をかけて総会をしたんです。
愛媛県初の統合中学校として創立以来33年経ち、卒業生が3878名を数えて、いろいろと活躍している卒業生も母校を愛し、郷土を思う心をひとつにして、玉川中学校の教育に思いをよせて、町の教育の発展に寄与したいという思いがあり、1期生の伊藤範人氏の呼びかけで有志が集まって設立にいたりました。
スタッフ:
それから、ほんとうにいろいろな事業をされてきましたよね。主なものにどんなことがありますか?
越智さん:
平成2年3月に同窓会総会をしてから、7月に同窓会誌「玉の和」を刊行しました。これがちょうど中学校創立35周年だったと記憶しています。 これは、ほんとうに大変な作業でしたが、これを作って、同窓生の住所など連絡先を整理したことが、後の事業などにとても役に経ちましたね。
スタッフ:
今は個人情報など言われていていますので、当時でないとできなかったかもしれませんね。
越智さん:
そうですね。皆さんとても協力的でした。友だちにも声をかけてくれてね。 その後、平成6年に校訓碑を作ろうということになり、実行委員会が結成されます。校訓を刻んだ校訓碑を作ることに盛り上がりました。それで、平成7年8月に序幕式を行うことができました。中学校正面入り口、校門入って右側に立っている石碑です。「和す・磨く・結ぶ」が深く刻まれています。また同時期2代目の校旗も作りました。 それから、平成16年になって、学校創立50周年記念として、「統合の像」の建立をとの声があがりました。
スタッフ:
「統合の像」とは?
越智さん:
平成17年1月16日には合併されて母校が玉川町立でなく、今治市立玉川中学校になる節目の年でした。第2回卒業生の武田勝重氏が当時中学2年生の時に制作された木造の「統合の像」を元にブロンズ像を建立して、統合の歴史と玉川町が合併することを記念としようと、実際には創立48年目であったのですが、前倒しで50周年記念事業として建立しました。
スタッフ:
当時は越智さんもお仕事がお忙しい中、ほんとうにあちらこちらへ足を運ばれて、ご尽力されていましたよね。
越智さん:
そうですね。大変だったけれども、それだけ、できたときは感慨深かったです。富山県の高岡へ世話人と当時の日浅校長先生と行ったことも今ではいい思い出です。平成17年1月に多くの人たちに見守られて、正面玄関前にりっぱなブロンズ像(高さ190センチ碑文プレート含む)が序幕されたときには、胸がいっぱいになりました。 初代同窓会会長 伊藤範人さん、2代目正岡剛さん、3代目の私と、そして役員さんたちも関係者みんなとても喜びました。
スタッフ:
今年はいよいよ60周年ということですが・・・
越智さん:
普段から3月卒業式の前日にある「同窓会入会式」では、記念の文鎮を贈呈したり、部活動への全国大会への旅費などを支援させていただいているわけですけど、今年はせっかくの記念なので、ピッコロ(楽器)と、人文字の記念写真、そしてクリアファイルを個人にお渡ししたいと思っています。玉川中学校で学んだことを誇りにして、はばたいてほしいと思いますね。
スタッフ:
それだけ玉中への思いも深いわけですが、越智さんは玉川町時代議員さんもなさってましたね。
越智さん:
そうです。1期だけですが、町議会議員を15年から17年の2年間していました。当時は今治市の合併問題を熱く議論していましたね。
スタッフ:
玉川についてはどんな思いがありますか?
越智さん:
私は日本広くても玉川は1番いいところだと思っているんです。自然がいっぱいで、水がきれい。海や山が近くにある。そして災害も少ない。こんないいところは他にないでしょう(笑)
スタッフ:
その玉川はどんな町であってほしいですか?
越智さん:
できるだけ今の自然を残してほしい。守っていってほしいですね。 またこうして同窓会の事業をするといったら、みんな沢山の方が力を貸してくれる。これは玉川ならではだと思います。行政と住民がいろいろと協力でき、前向きにいきやすい。それも町のいいところですので、さらによりよくなってほしいですね。 そして若い人たちには、玉川で過ごした子ども時代を大切にしてほしいと思います。大人になってからも友達も大切にして、ふるさとを忘れないでいてほしい。
スタッフ:
最後に好きな言葉を教えてくださいますか?
越智さん:
「心気弘大」という言葉です。心と気持ちを大らかに持って、立派な人になれという意味で、大切にしています。
スタッフ:
まさに越智さんにぴったりの言葉ですね。今日はお忙しい中、ほんとうにありがとうございました。これからも益々ご活躍ください。
編集後記:
玉川サイコープラザで、玉川への思い、中学校への熱い思いをお聞きし、その後、玉川中学校へも足を運びました。正面玄関の校訓や、統合の像は、お話しをお聞きしてさらに、感慨深いものがありました。
10月23日には、玉川中学校体育館において、創立60周年記念式典が、厳かにかつ盛大に開催されました。写真はその時の様子です。