第8回 森登志雄氏 ユキ子氏 ご夫妻



森登志雄氏 ユキ子氏 ご夫妻

今回は、玉川町鈍川日の浦にお住まいの 森 登志雄様 ユキ子様ご夫妻にお話を伺いました。  
森様は、盛りだくさんの活動をされているご様子を写真や作品、本、新聞などで紹介してくださいました。
お話はとどまるところがなく時の経つのも忘れて楽しく伺いました。  
詳しくは掲載できませんが、その一端をお知らせします。

問1  学校を定年退職されてから、たくさんの趣味をお持ちだとうかがっておりますが一番初めは何から取り掛かられたんでしょうか。

森さん:
まずはじめは、陸上競技ですね。昭和25年、青年団の時、県で優勝して小さなメダルをもらったんです。ところが、教員時代、女性の同僚が県でセミマスターズの大会で大きなメダルをもらっているのを見て、「よし、自分もやるぞ。」と思ったのが、マスターズへの挑戦のはじまりです。
陸上は小学校の5,6年ころから100m・リレーで優勝したりしていました。
中学校では、関節が痛くなる病気になって中断したんですが、運動会で、幅跳びがあって、陸上部でもない私が上級生を抜いて優勝したので、皆がびっくりしたことがありました。
マスターズは今年で27回目ですが、このごろはご時世を反映してだんだん楯も小さくなってきました。
メダルは二人合わせると、おそらく230~240個くらいもらっていると思うので、もう珍しくなくなりました。
今朝も練習してきました。砲丸投げ、円盤投げ、やり投げをやっていますが、円盤とやり投げは今年のベスト記録がでたので、これだと来年がちょっと楽しみになってきました。
スタッフ:
いつもお二人で一緒に活動されているのですか?
ユキ子さん:
私は始めは主人について行って記録だけしていたのですが、5年くらいしてから「おまえも一緒にしないか?」と誘われて、するようになったんです。

問2  次に絵手紙についてお話しください。

森さん:
絵手紙をはじめるきっかけになったのは、教員時代に美術も教えて欲しいといわれて、少し勉強をしたのと、油絵も習いに行ったりして絵を始めたことですね。
そのころ、郵便局で年賀状コンクールがありましてね、それに出したら入選したのが最初です。それからは絵手紙の会でも入選するようになりました。 あるとき、川之江、今の四国中央市で絵手紙の四国大会があったときも、川之江の丸いナスをかいて、『川之江の丸いナスの心で』と書いたら、それが大賞になりました。絵手紙では、絵とことばがマッチしていることが大事なんです。
ユキ子さん:
わたしと母も、主人に教えてもらって絵手紙を習うようになりました。高知で大会があったときは、私と母が入賞して、主人が入らなかったこともあったんです。(アハハハハ、一同笑い)
森さん:
内弟子のほうが当選して、師匠のほうがだめでした。(ハハハハハ)
スタッフ:
先生の絵手紙は今治管内でも有名で、岩城の特産品である「れもんはーと」のラベルも先生がかかれた絵でしたね。
森さん:
ああ、あれを見てくれたんですね。 

問3 次にそのほかいろいろされていることについて教えてください。

森さん:
押し花絵もやりました。
これは、みんなは丁寧に1時間くらいかけて配置して仕上げるのですが、私は10分くらいで出来上がってしまいます。それでも先生に「直してください」と持っていくと、「これはもう直しようがない。今が一番いいですね。私が変にさわるとかえってだめになる。」と言ってくれたりしました。
また、「玉川でも押し花絵の教室を開いてください。」と言われましたが、時間がないのでお断りしました。高知で押し花手紙の全国コンクールがあったときも、入選者一覧表が送られてきたので見てみると、いくら探しても名前がないのでだめだと思っていたら、一番上の牧野賞のところにあったんです。びっくりしました。 
ユキ子さん:
だけど牧野賞にはなりましたが、材料は全部私が用意したんですよ。(一同 大笑い)
森さん:
(笑いながら)そうなんです。私は並べるのが得意で、材料を作るのは苦手なんです。
スタッフ:
奥さんとの合作ですごいですね。次に俳句はどうですか。
森さん:
俳句は、「やまぐるま」の会で、山歩きをして、30回ごとに記念誌を出すので、行ったところを記憶によみがえらすためにはじめたんです。写真と俳句にしておいたら、後でその時のことを思い出しやすいのです。また、おふくろが俳句をやっていたものですからね。 この記念誌の題字の「やまぐるま」という字も私が書いたものです。 正月の2日の書初めの日に、この「ま」とこちらの「ま」はちょっと変えて、「や」は少しかすれるように書いたんですよ。
スタッフ:
先生のお母様は「玉川小唄」の作詞者でしたよね。
森さん:
そうです。俳句や短歌や詩を作っていました。
ユキ子さん:
私の父も俳句や短歌をやっていました。
スタッフ:
みなさん文芸一家なんですね。
スタッフ:
また写真もよくされていましたよね。
森さん:
写真を始めたのは中学校の頃からです。
寄宿舎の押入れで、どんぶりばちを使って現像していました。
ユキ子さん:
結婚してからは子供の成長の記録を残したくて撮りましたね。
森さん:
納屋を暗室にして、時間差でいろいろ試したりして研究しました。 木で枠を作って、ビニールを敷き、その中に現像液を入れて、やったりもしましたね。 写真展も2回、シルバー芸術祭の県の代表になったことがありますが、その時90歳の人が最高齢で県の予選を突破して代表になっていたので、私はまだまだ青二才だなと思いました。
スタッフ:
文化祭では、家族の写真や風景などをよく出されていますね。
森さん:
そうです。また、新聞社に投稿するのが好きでしたから、出し始めてから110回載りました。
投稿した後は、今日出るか、今日出るかとそれは楽しみですよ。
ユキ子さん:
私はたまにしか出さないけど、確率はいいんですよ。
森さん:
二人合わせたら130回以上は出ているでしょう。新聞に載ると、それに関係する人から挨拶状が来たり、お礼状が来たり、いろいろ反響があって面白いです。そういうところが醍醐味ですね。
スタッフ:
いろんな出会いがあって楽しみですね。 そのほか野菜作りにも力を入れていらっしゃるとか。
森さん:
野菜作りは家内が農林大臣でね(笑い)。私は言われたとおりにやるだけです。
4人の子と、仙台や、京都、長崎などに孫やひ孫がいるので、無農薬で育てて送っているんですよ。
「わが家のエンゲル係数が下がる」とか「家計が助かる」とか、たいへん喜ばれています。

問4 毎日の生活で気をつけていることを教えてください。

森さん:
体重が増えすぎないように、甘いものはやめられないですが、酒はあまり飲まないようにして、食生活に気をつけています。 青魚でじんましんがでるたちだったけど、食事療法で、しょうが紅茶を飲むようになって、半年くらいで出なくなりました。中性脂肪も減りましたよ。
スタッフ:
気をつけてくださって、奥様に感謝、感謝ですね。
森さん:
今でも運動ができるのは、クワハウスへ行っているおかげです。14~15年続けています。火曜日は休みですが、ほとんど毎日行っていますよ。1年に270回くらい行った年もありますが、おふくろの看病をするようになって減りました。
スタッフ:
お母さんの介護を上手になさっていたんですよね。
ユキ子さん:
主人が一緒に介護をしてくれて、ほんとに感謝しています。
森さん:
それから、私自身が人との出会いで人生が変わったんですが、私が人生を変えた人がいるんですよ。 Tさんには、「退職したらマスターズをやりなさいよ」と声をかけていたんですが、「あなたのおかげで人生が変わった」と喜ばれています。 松山のNさんや、中島のAさんにも俳句や短歌、写真、マスターズを勧めて感謝されています。

問5 これからの玉川に望むことがありましたら、お話しください。

森さん:
合併前は弁当の配送・回収で度々対話ができていたのですが、それに代わる独居老人の安否確認ができるような仕組みをお願いしたいです。今は回数が少ないように思います。 また、PTAが資源ごみの回収をしているが、ふつうのときにたくさん出ているのが気がかりです。学校への協力をしてあげて欲しいです。

問6 ほかに言い残したことなどあればどうぞ。

森さん:
「豹は死して皮を留め、森 登志雄 記念誌を残す」鈍川小学校創立百周年記念誌・閉校記念誌の編集部長を務め、精一杯のものを作りました。 以前108歳の人と2回握手をしたことがありますが、「元気で茶寿を、幸せで明るい長寿を」と、思います。(茶寿とは108歳のこと)人は余生、余生と言いますが、私は、新しい人生を与えてくれる「与生」としたいです。1日24時間は短すぎますね。 百姓をしたり、写真も撮ったり、そうかと思ったらウリ坊が家の前を走ったり、野うさぎ、猪、猿、鹿、ハクビシン等々、動物との共生ですから・・・・・・。

問7 最後に森さんの座右の銘を・・・

森さん:
「 一生青春 」 です。 
スタッフ:
う~~~ん、さすが。

いつまでもお話をお伺いしていたかったのですが、瞬く間に時間が経ってしまいました。ここに載せきれていないものもたくさんありますが、森さんご夫婦の仲むつまじいご様子や、元気でいろんなことに興味をもって、日々継続して努力を積み重ねていらっしゃるお姿に接し、私たちも少しでもあやかりたいものだと心から感激いたしました。
このあと、素敵な絵の色紙をいただいて、みんな笑顔で写真におさまりました。森さんほんとうにありがとうございました。今後ともどうかお元気で、益々のご活躍をお祈りいたしております。

 スタッフ一同