第24回 この人に聞く 阿部 マサミ 氏



阿部マサミ氏

長年玉川町大野で暮らしている高齢の阿部さんは、いつも集いの場や講演会場に笑顔を見せてくださってお元気そう。若い頃から今までの暮らしを振り返って思い出や体験談など聞かせていただきたいと訪問させていただきました。
4月に入って、日中は陽気ですが、朝はうっすらと霜の降りた朝でした。玄関先のお花を観ていると「おはようございます。」と、いつもの笑顔で、お声をかけてくださって暖かくしたお部屋へ、ご案内してくださいました。

スタッフ:
早速ですが、お歳は、いくつになられましたか
阿部さん:
大正11年8月19日生まれで、満96歳です。
スタッフ:
そんなに見えません。お肌もきれいですね。結婚を機に住むようになった当時の様子を教えてください。
阿部さん:
お見合いで結婚しました。三味線のお師匠様のお世話で、あの人ならと紹介してくださいました。義母さんは、教師をされていた方で優しい理解のある方という風に聞かされていました。相手は、お酒呑みでなければいいんだがと思っていました。両家の親族と一緒にお顔合わせをして、本人とは言葉かけもしてないのに、帰りには、先方の結婚の意思が仲人さんから返事がきました。何時召集令状が来るかわからないので、決まれば早く結婚式をと昭和19年3月10日に見合いして4月2日に大野へ嫁ぎました。
スタッフ:
新生活が、はじまったのですね。
阿部さん:
夫は役場勤めをしていました。昭和20年4月2日召集令状にて出征。結婚記念日が入隊となりました。終戦前、今治本町の天狗時計店、ふくみ屋呉服店の老夫婦と子供が疎開して来ていました。終戦になった時、「負けてもいい。戦争が終わったらいい。」と喜んでいました。夫は、親戚の神戸の家具店での勤めを3年、帰ってから今治の広洋タオルへ勤めました。おかげで長女長男二男の3人の子供に恵まれました。
スタッフ:
その当時の子育てについて、お話しください。
阿部さん:
夫の留守の間は、田んぼの世話や草刈りもしました。長女が「お母さん、日曜は何時も何時も田んぼ田んぼと言って犬塚でいいから、家族でお弁当持って行きたい。」そんな言葉も、しばしば聞きました。3人の子供を教育するには、経済力がないといけません。内職もしました。戦後の品不足の時代でしたから子供に着せる服は、ほとんど手縫いやミシンを使いました。子供に不自由させまいと工面をしました。おもちゃもフェルト生地で、あいうえお48文字の布絵本や折り紙細工などで我が子3人とも、おもちゃとして遊びました。
今では子供たちから「僕ら子供の頃は、お母さんの手づくりばかりだったね。朝起きたら新しいのができていたね。」と思い出話しには、感謝の気持ちの声を聞かせてくれます。
スタッフ:
子供さんたちが成長したその後の様子を、お話しいただけますか
阿部さん:
昭和29年頃勤めの経験があって、私が勤めていた事を知っていた人の紹介で九和産業組合(現在の農協)へ就職しました。会計事務を担当しました。「あんたが男性だったらなー。」と組合員さんから言われたことがありました。その当時は女性が管理職など登用されることは、なかったです。主任という肩書をいただきました。昭和56年定年退職しました。
退職後、義母さんと3年間共に過ごせたことが、何よりよかったと思います。義母さんが1か月の入院生活でしたが、亡くなる時「お母さん、あんたは家庭の切り盛りよーやった。私を優しく看てもらったし、ありがとう。」と言って亡くなったのです。とてもうれしかったです。このようなことを私も言って死んだら良かろうにと、つくづく感じているのです。
スタッフ:
定年後の暮らしをお話ししてください。
阿部さん:
退職して、何かボランティア活動がしたい。そんな気持ちの時、先輩の方から愛育班員を依頼されました。3歳以下の乳幼児と独居老人の家庭訪問をして、訪問カードで保健婦さんへ様子を知らせるのです。
ともしび会の総会で当時の朝倉の会長さんが「衣食住足りて不足はないけれど掛けてほしい 愛の一声」この言葉に感銘しました。義母さんと40年間同居し年寄りの気持ちをわかっている、これならボランティアが、できるだろうと心にともしびを燃やしました。その頃は、独居老人給食サービスもありましたが独居の方を訪問して感じたことは、私から珍しい食べ物を差し上げることもありましたが、それより気になっている身内のお話しを繰り返し、お話しするるので、聞いてあげることの方が、うれしいようでした。
若い子育て中の母親が、学習参加の時間帯に安心して受講できるよう子守もしました。年6回の学習会で第1回目に子守した子は、最後まで私の腕に抱かれて懐いてくれました。子供の成長が目に見え、母親とともに喜び合いました。
日赤奉仕団活動では、あすなろ学園の「一日里親制度」で我が家に1泊2日お預かりしました。
平成6年7月愛媛県ともしび母親クラブより表彰状をいただきました。
スタッフ:
いろいろなボランティア活動に尽くされたのですね。今も、お元気そうですが、ずっとお元気で活躍されたのですね。
阿部さん:
いいえ、軽い脳梗塞・帯状疱疹・乳がんの病歴はありましたが、私は、神仏を崇めていますので、その都度回復が早く有難く思っています。
夫は、平成元年4月には、パーキンソン病と認定され、寄り添い介護してきました。何をするにも二人三脚でした。全然足が立たなくなってからは、3年間車いすでした。障害者になって夫婦らしい生活をしたと思います。平成8年7月2日に、亡くなりました。
夫への悔いが2つあります。ひとつは、タバコを吸いたいのにやめさせたのです。寝たばこで、時々布団が焼けたことがあったからです。もうひとつは、戦記物はたくさん買ってあったのですが、戦記の本を欲しがっていました。もう読める状態ではなかったから買わなかったのです。
夫は、おとなしい方でした。デイサービスから帰ったら「お宅の奥さんは、とてもいい人ですね。」とヘルパーさんが言ってくれたと何度も言うのです。自分から「ありがとう。」と言い難いので代弁して言っているように伝わりました。
夫への近頃の思いをJAおちいまばり月刊誌の「JA歌壇」に送稿しました。

精いっぱい看とりし夫と思へれど
悔ゆる事あり今にかなしむ
スタッフ:
阿部さんの思いの入った作品ですね。自発的に仲間と趣味活動されてきたことを、ご紹介ください。
阿部さん:
保健センター(現在のサイコープラザ)では、「ちゃっちゃクラブ」で、布で手づくりおもちゃ、編み物、折り紙細工など、あれこれしました。
若いころから、針仕事・ミシン縫い・編み物・折り紙細工は好きでしたから、他人の作品を見て、寸法を計って、帰宅してから自分で真似てみると出来ていました。バリィさんもそうです。
先生に習ったのもあります。クラフトかご編み、ブローチ、座布団編みの他、野原に咲いている花を押し花にして、額に入れて飾っています。
スタッフ:
私たちの活動拠点のサイコープラザへも千羽鶴を飾っていただき、ありがとうございました。器用さが半端じゃないですね。
家庭での趣味をご紹介ください。この机にある本は、読まれた本ですか。
阿部さん:
①読書は大好きです。駒井茂春著「愛のある人生を」、佐藤愛子著「老い力」樹木希林著「一切なりゆき」、矢作直樹著、「長生きに こだわらない」、五木寛之「旅立つあなたとは」は、ずっと前に読みました。他にサイコープラザで借りて読んでいます。
 新聞を読むには、第一に図書案内から読み、最新出版を選本します。息子に知らせると、すぐに買ってきてくれます。本を買うのは、贅沢でないと言ってくれます。
②頭の体操に、ナンプレをしています。今までに50冊終わりました。
③社会参加します。福祉センターで体操教室、火曜日はJAの生きがいデイサービス、水曜日はサイコープラザでうたごえプラザ、金曜日はサイコープラザで認知症予防ゲームに出かけます。
④花づくり大好きです。昔は盆栽教室や花づくり教室に行って、株分けなど習ったけど、今は、庭の花に水をかけるのが精いっぱいになりました。
スタッフ:
玄関前に春の花がきれいに咲いていますね。健康で生き生きと過ごされているご様子。毎日の生活で心掛けていることを教えてください。
阿部さん:
① 元気な体を与えられていることに感謝して神仏に祈っています。
② 夏は5時半、冬は6時起床の生活です。
③ 平成17年から、血圧を朝・昼・夜と測定して記録しています。金藤内科の先生から、「優等生」と言われました。
④ 人との交際は、何事にも善意にとって暮らすことで、人を傷つけたりしないように思いやりをもって、素直な優しい心で付き合うにしています。
⑤ 自分にできることを日課にしています。
スタッフ:
日々行っていることが目に見え、実証されていて敬服しました。玉川町へ臨むことなど、お話しください。
阿部さん:
以前は、独居老人への給食サービスがありましたが、最近は無くなったのでしょうか
 避難勧告での一時避難を経験したのですが、集会所へ身を寄せたのですが、誰も居なくて、寂しい思いで過ごしました。町の取組は、高齢者にはわかりません。災害時にどのような伝手でしたらいいか知りたいです。
スタッフ:
大切なことを聞かせていただきました。関係機関に問い合わせて、お知らせさせていただきます。
スタッフ:
最後に次世代に期待することなど有りましたら、お願いします。
阿部さん:
元気でいる限り少しでも社会奉仕をと思っています。1日1日残り少ない人生を大切に笑顔で皆様にお会いできればと思っています。
スタッフ:
ありがとうございました。
いつもの出会いと同じで、年齢を感じさせない言葉は、流暢で、しかも休みなく、お応えくださって、「お疲れになったことでしょう。」と思いきや、「今から福祉センターである文化講座に出掛けます。」との元気さ!戸締りして私たちとご一緒に、お出掛けになりました。
取材の中で、「元気でいる間は社会参加すること。多くの方とふれあうことが元気の源ですね。」の、お考えが印象に残りました。
文責 井出サツミ