第6回 森高英氏  



森高英氏

9月26日(水)、長谷の森高英さんのご自宅をスタッフ3名とカメラマンで訪問し、お話を伺いました。

問1 郵便局のおじさんとジュニアバレーボールの監督さんというイメージが強い森さんですが、まずお若い頃の思い出をお話しください。

森さん:
子どもの頃は近所でも評判の腕白小僧でした。女手一つで育ててくれた母親にはずいぶん心配をかけました。高校へも進学したかったけど長男でもあり、家の農業を継ぐことにしました。郵便局へは昭和35年から勤め始めました。

問2 お若い頃からさまざまな役職をお持ちでしたが、それらの思い入れや活動の思い出をお話し下さい。

森さん:
順を追って話しますが、
VYS活動
私のボランティアはVYSから始まりました。19歳の頃です。(と言って見せていただいたのが昭和42年1月26日(木)の愛媛新聞のコピー。家庭婦人という欄の“ある夫婦の物語”-VYS活動に生きる-という記事が掲載されていました。9名で始めたVYS活動、奥様との出会いなど感動の内容をすべて掲載できないのが残念です。)まず、子どもの健全育成のために玉川町に子ども会をつくりました。機関紙を発行したり、四季の行事を楽しんだり夢中でした。指導メンバーはVYS一家といって仲が良かったし、一緒に集まって夜遅くまで議論したものでした。(「おまえは本職はなんぞ」と聞かれ、「VYSが本職で次が局、百姓は余暇の雑用よ」と答えていたそうです。)
PTA活動
友人に声をかけられPTA活動もしました。今も続いている玉中招待を提案したのも私です。何を始めても必ず新しいことを取り入れるのが私のやり方です。
JVC活動
JVC(ジュニア・バレーボール・クラブ)を始める前に家庭婦人の指導もしました。私自身も中学生からバレーボールをやっていました。(セッターとして活躍されたそうです。)稲刈りを終えた田んぼできゅうり用のネットを張って練習したことも懐かしい思い出です。(かなり厳しい監督だったそうです。)家庭婦人のバレーボールチーム(玉川クラブ)を結成5年で県大会優勝に導き、奥さんとの約束で監督を退いたのが3月でした。家庭のことは何もかもまかせっぱなしでしたから、優勝すればやめるという約束を守りました。が、それからというもの半ば放心状態の毎日でした。バレーボールの虫が騒ぎ出し、もういてもたってもいられず、5ヶ月後の8月JVCを他の指導者を誘い始めました。青少年健全育成が目的でした。その後22年間続けました。子どもたちにはまず、はきものをきちんと揃えることと礼儀作法を厳しく指導しました。試合で負けても怒ることはありませんでしたが、このきまりを守れない子は怒りました。子どもたちもたくさん巣立っていきました。いまだに「監督さん!」と声をかけられたり、家を訪ねてくれたりしますよ。バレーボールを続けている子もいます。
公民館活動
仕事をしながら公民館長を8年間務めました。夏の盆踊り(ザ・盆フェスタ)に連コンテストを取り入れました。常に新しいことを取り入れるのは、その行事が新鮮なものになると思うんです。
少年警察
協助員
少年警察協助員・青少年補導委員・防犯活動
少年警察協助員は26歳の時からです。その後の青少年補導委員はまったくのボランティアから始めました。防犯活動も含めてですが、町内の見回り、悪書追放、手作りの看板立てなどどれも青少年の健全育成が目的でした。先ほども言いましたが、どの会も私がかかわった会は、必ず新しいことを一つ取り入れて新鮮な空気を入れることを心がけました。

問3 いろいろな活動を長く続けてこられてほんとうにすばらしいことだとおもいます。ご苦労話もお聞かせ下さい。

森さん:
そうですね。67歳の頃ですが・・・愛媛県警察協助員があまりに高齢化していたので、これでは若者と話もできないじゃないか、一緒に歩いたり走ったりできないじゃないか、それで協助員が務まるのかと思い、70歳の定年制を提案しました。緊急の理事会を開き思いを伝え、さらに20分後の総会に賛同してくれるよう説得してまわりそれはたいへんでした。結局定年制は承認され、採用されました。何事においてもそうですが、トップリーダーは一つ先一つ先を考えておくべきだと思います。私は、トップリーダーをやらせてもらってよかったと思っています。仕事もアフターファイブも全力でした。

問4 郵便局勤めやスポーツの普及、青少年の健全育成、防犯の功労などのご功績により数々の表彰を受けられておられます。(座敷には、数え切れない程の表彰状が飾られていました。)そして、平成21年には、藍綬褒章の叙勲を受章されました。おめでとうございます。ご感想をお聞かせください。

森さん:
叙勲は愛媛県防犯協会の推薦です。四国でただ一人ということだし、私などいただけるものではないと思いましたが、再三の申し出にいただくことにしました。奥さんも説得し、二人で東京に行ってきました。内助の功なしでは今の私はないと感謝しています。

問5 お庭に立派な盆栽が並んでいましたが、 趣味についてご紹介ください。

森さん:
盆栽ですね。さつき、松、竹、梅に椿。手入れは大変です。どんなに酔っ払って帰って来ても水やりをかかしたことはありません。その他、海釣りですね。

問6 現在は毎日どのようにお過ごしですか?

森さん:
公民館の生涯学習講座の学級長として地域の皆さんとかかわっています。それと盆栽の手入れや無農薬野菜を栽培したり、夜は夫婦でウォーキングもしています。

問7 これからの玉川町に望むことをお聞かせください。

森さん:
玉川町にというより玉川地域活性化推進協議会の皆さんに望むことですが、活動をもっと地域の人に浸透させる必要があると思うよ。一部の人が燃えているだけではだめだ。多くの人は冷めていると思うよ。年に2箇所くらい出かけて行って(出前講座)活動を広く住民にアピールしたらいいと思うね。老人会とかサロンへ出かけて行くんです。

何事も全力で一直線の生き方をされてこられた森さん。一見近寄りがたいイメージの方のように思っていましたが、お話ぶりは気さくで楽しく、傍で静かに寄り添っておられた奥様も素敵で、この方あっての森さんを実感しました。何よりもインタビューの最後に私たちの活動に対してアドバイスをいただいたこと感謝致します。喝を入れていただいたようでした。これからもお元気で玉川のご意見番としてご指導くださいますよう、お願い致します。