
春爛漫の季節、NPOの事務所に生まれ育った玉川で働く3人の男性に集まっていただきました。阿部大輔さん、浮穴智彦さん、越智昭夫さんの3人です。
阿部大輔、36歳です。「株式会社 アバンギャルド.・クリエイティヴ」という会社でタオルのデザインの仕事をしています。
浮穴智彦、今年33歳です。地元で父が起業した「有限会社 玉川車体」という会社を継いで経営しています。現在は代表取締役です。
越智昭夫、出身は鈍川の神子之森で、今は今治市五十嵐に住んでいます。39歳です。農業をやっています。
僕は子どもの頃は奈良之木に住んでいて鈍川小学校でした。子どもの頃はとにかく学校が終わったら、近所の子ども10人くらいが集まって休耕田で野球をするとか、遊び場所はいっぱいありました。学年の違う地域の子どもが寄って来て遊んでいて、今考えると恵まれた環境で育ったんだなあと思います。
小学校は、一学年13人で少なかったんですけど、学校の中では、多いほうでした。複式の学年もありましたので。
宿題とかも、一応やってから遊んでいました。けっこう宿題もありましたし・・・。
現在、小学校5年の息子がおりますが、今の子どもの宿題の少なさにびっくりしています。
僕は鴨部小学校でした。阿部さんと同じですね。まわりが田んぼという環境で育ちましたから、休耕田で野球とかしました。小学校の3年生くらいになると、ゲームも流行ってきたのでファミコンとかやりました。でもまだまだ外で遊ぶ機会が多かったです。山登りとかもしていたし、夏休みはよく泳いでいました。
いのこ、お祭りにはいつも参加していました。中学校に入ってからは、部活がメインとなりましたが。
ぼくは、鈍川小学校でした。山とか川とか田んぼで虫や魚を取って遊んでいましたが、「ドラえもん」とかけっこうテレビをよく観ていました。あと、小学校の頃は、本をたくさん読みました。学校の図書室で借りた科学の本をよく読みました。

甘とう美人です。これは大きいけどくせがないです。その他露地きゅうり、春菊など1年中何か作っています。それからボランティアもしていますしアルバイトもしています。
若い人たちの町に対する思いをお聞きし、私たちも元気づけられました。これからも、共に協力しあえるところはしていき、支え合いの町を作っていけるといいですね。今日は初対面とは思えないなごやかな雰囲気でした。ありがとうございました。