第11回 阿部大輔氏、浮穴智彦氏、越智昭夫氏



玉川で働く3人の男性

春爛漫の季節、NPOの事務所に生まれ育った玉川で働く3人の男性に集まっていただきました。阿部大輔さん、浮穴智彦さん、越智昭夫さんの3人です。


問1 はじめまして。今日は、皆さんお忙しい中集まって下さいましてありがとうございます。皆さんは、初対面ですか?

全員:
はい、初対面です。
スタッフ:
それでは自己紹介をお願いします。
阿部さん:
阿部大輔、36歳です。「株式会社 アバンギャルド.・クリエイティヴ」という会社でタオルのデザインの仕事をしています。
浮穴さん:
浮穴智彦、今年33歳です。地元で父が起業した「有限会社 玉川車体」という会社を継いで経営しています。現在は代表取締役です。
越智さん:
越智昭夫、出身は鈍川の神子之森で、今は今治市五十嵐に住んでいます。39歳です。農業をやっています。

問2  皆さん、それぞれ玉川で生まれ育ったわけですけど、子どもの頃の思い出を聞かせて下さい。

阿部さん:
僕は子どもの頃は奈良之木に住んでいて鈍川小学校でした。子どもの頃はとにかく学校が終わったら、近所の子ども10人くらいが集まって休耕田で野球をするとか、遊び場所はいっぱいありました。学年の違う地域の子どもが寄って来て遊んでいて、今考えると恵まれた環境で育ったんだなあと思います。 小学校は、一学年13人で少なかったんですけど、学校の中では、多いほうでした。複式の学年もありましたので。 宿題とかも、一応やってから遊んでいました。けっこう宿題もありましたし・・・。 現在、小学校5年の息子がおりますが、今の子どもの宿題の少なさにびっくりしています。
スタッフ:
浮穴さんはいかがですか?
浮穴さん:
僕は鴨部小学校でした。阿部さんと同じですね。まわりが田んぼという環境で育ちましたから、休耕田で野球とかしました。小学校の3年生くらいになると、ゲームも流行ってきたのでファミコンとかやりました。でもまだまだ外で遊ぶ機会が多かったです。山登りとかもしていたし、夏休みはよく泳いでいました。 いのこ、お祭りにはいつも参加していました。中学校に入ってからは、部活がメインとなりましたが。
スタッフ:
越智さんはいかがですか?
越智さん:
ぼくは、鈍川小学校でした。山とか川とか田んぼで虫や魚を取って遊んでいましたが、「ドラえもん」とかけっこうテレビをよく観ていました。あと、小学校の頃は、本をたくさん読みました。学校の図書室で借りた科学の本をよく読みました。
スタッフ:
その頃は、農作業などは?
越智さん:
簡単な親の手伝いは言われるままにしていました。その頃家で乳を取るために、山羊を飼っていました。主に祖父が世話をしていましたから草を刈る手伝いなどしていました。
スタッフ:
阿部さんは何か手伝いはしてましたか?
阿部さん:
祖父が農業をしていましたけど、手伝いと言えるほど手伝ってないです。農繁期に収穫を手伝ったくらいですね。
スタッフ:
浮穴さんはいかがですか?
浮穴さん:
その当時は親がまだ田んぼを作っていましたので、簡単な手伝いはしていました。中学生になると、ソフトテニス部に入って部活動中心だったのでほとんど手伝いはしませんでした。

問3 皆さん、玉川中学校を出られて、それぞれ今治市内の高校へ行かれたんですね。

全員:
そうです。
スタッフ:
今は皆さん玉川に住んでいるんですが、高校卒業後、玉川を離れたことありますか?
阿部さん:
大学は京都へ行きました。卒業後は金融関係の仕事をしていまして、福岡におりました。男兄弟3人の真ん中なんですが、父が起業した会社を誰も継ぐようすもないので 手伝ってみようと思ったのが2001年です。今の仕事は、デザインというよりそのプログラムを作る仕事で、デザインは父やスタッフがしています。僕は全然絵心はないので、父の仕事を手助けできる分野があってよかったと思っています。ただ帰ってきた当時と比べると、タオル業界も今治市内のタオル会社は3分のⅠ以下にまで減ってしまい、大変です。
スタッフ:
地元とのかかわりはどうでしょう?
阿部さん:
残念ながら玉川とのかかわりはすくないですね。子どもたちの学校関係のことも妻にまかせることが多いです(笑)
スタッフ:
趣味などありますか?
阿部さん:
単車で走ることです。父と兄の影響ですね。
スタッフ:
浮穴さんは高校を卒業してから後はいかがですか?
浮穴さん:
高校を卒業して大学は松山でしたのでそこに4年。その後7年位して玉川へ帰って来ました。3年位前になります。それまでは新居浜とか、松山で車関係の仕事をしていました。その後、いろいろな勉強の為、1年半位東京に勉強に行きました。 玉川へ帰ってきたのは、やはり地元が好きだったのと、子どもの頃から自営業を親がしている姿を見てやりたいなというのがありましたので。今、両親共に元気で、一緒に仕事をしています。
スタッフ:
浮穴さんは、3年位前に玉川へ帰ってこられたということですが、何か町とのかかわりはありますか?
浮穴さん:
「玉川ヨガサークル」を月3回グリーンピアで1時間位地元の人たちとしています。将来的には自宅でと思っています。もっと若い頃は、空手をやっていましたが、体が堅く、怪我が多かったため、体を柔軟にするために、ヨガを始めました。大学の3年生くらいからヨガにはまり、学生時代に資格をとりました。
スタッフ:
ヨガの魅力はなんでしょう?
浮穴さん:
1時間位続けると活力が増してきてやる気がでます。精神的にもリラックスできるし、体にあっているように思います。誰かと一緒に体を動かすことは、楽しいです。ヨガは、幅広い年齢の人にやってほしいですね。 仕事にも役立ちますよ。ヨガがなかったら仕事もできないかもしれません(笑)昨年は、地域教育課主催の「すみれ子育て教室」でヨガ指導をさせていただきました。 あと、地域とのかかわりと言えば、消防団活動です。
スタッフ:
ちょっとヨガをしてみたいんですけど・・・
___ここで全員でヨガタイム___
スッタフ:
越智さんは高校を卒業されてからは、いかがですか?
越智さん:
僕は、高校卒業後、大学へも行かず、就職もしてないので、玉川から長く離れたということはなかったんですが、1ヶ月から3,4ヶ月の研修にあちこち出かけました。18歳の頃から農業の勉強をしようと思い始めまして、千葉のハウスきゅうり、肱川の鶏農家へも研修に行きました。研修をしてものの考え方、仕事のすすめ方、効率的に仕事をすることなど教えていただきました。千葉のいちご農家や京都の北山杉の産地では林業の実習をしました。
スタッフ:
今は何を作っているんですか?
越智さん:
甘とう美人です。これは大きいけどくせがないです。その他露地きゅうり、春菊など1年中何か作っています。それからボランティアもしていますしアルバイトもしています。
スタッフ:
仕事はやりがいがありますか?
越智さん:
疲れています(笑)僕は、地域の生態系に配慮した農業がしたいんですが・・・。現在のところは味を良くして、収量をいかに増すかも課題ですし、省力化も考えなくてはいけません。いろいろやってみて、農業と営業の両立は難しかったので、今は農協に出荷するようにしています。僕自身はこれからもずっと玉川で農業をし続け、ゆくゆくは、自然にも、人間にも負担の少ない農業を組みたてていきたいです。

問4 最後に皆さん、これから玉川に望むことをお聞かせください。

阿部さん:
いい意味で田舎であってほしいです。散歩中出会った知らない中学生が私にも挨拶をしてくれるんです。ほほえましくなって、自分の子どももそういうふうに育てたいです。今どきは、「知らない人に声をかけられても返事をしないように」と指導されるそうですが、おかしいと思います・・・。知らない人でも、子どもたちが悪いことをしたら叱ってくれるそんなコミュニケーションがあるような町がいい。 町の活性化については、若者が率先してやるべきことと思いますが、今は仕事がメインで、時間の確保が難しいです。現在所属している青年会議所での活動が、地元を活性化するという意味ではめざすところは一緒かなと思います。
スタッフ:
浮穴さんは、いかがですか?
浮穴さん:
玉川のよさは、人の温かさや強いつながりだと思うし、これからも安心して暮らせる町であり、自然を大切にする地域であってほしいと思います。 初めて「玉川ねっと」のHPを観た時には、すごい活動をしているのだと感じました。 僕も、これから仕事やヨガなどの趣味をとおして、何かあったら助け合える力を育てていきたいと思います。
スタッフ:
越智さんは?
越智さん:
このNPOの活動は、よく「玉川ねっと」のHPを観させていただいていますが、更新の頻度が多く、ホームページの内容が素晴らしいですね。 玉川については、もっと自然豊かな町になってほしいですね。人と生き物が生き生きしているような・・・。人の知恵と、自然の回復力があれば、可能だと考えています。他から玉川へ来て農業をしたい人は、おおいにやってほしいし、長続きしてほしいですね。また、地元の若い人が農業を仕事に選んでほしいです。

若い人たちの町に対する思いをお聞きし、私たちも元気づけられました。これからも、共に協力しあえるところはしていき、支え合いの町を作っていけるといいですね。今日は初対面とは思えないなごやかな雰囲気でした。ありがとうございました。