11月末の玉川ダムの風景です。
「玉川ねっと」の「玉川ダム」のコーナーを更新しています。
玉川ダムの湖底に沈んだ懐かしい風景の写真を入手しましたので、ご覧ください。
昭和30年代に入って、今治市の急激な工業の発展と、人口の増加によって水需要が急激に増加し、県と今治市は蒼社川開発計画に基づいて玉川ダムの建設に乗り出しました。
3年余りの長期にわたり、計画地域住民及び関係機関との調整が行われた後、昭和43年(1968年)6月から本格的な建設工事に着工。
44年3月には鍛治屋集落30戸全部、妙見前集落39戸、小川集落3戸の立ち退きが完了し、44年4月には龍岡小学校を廃校し、保育所や公民館など関連公共施設が移転されました。
この湖底に当時は人々の暮らしがあったということは、今では想像するしかありません。
写真を見て、懐かしいと思う方、今まで知らなかった・・・と驚かれる方、いろいろだと思います。
玉川ダムは、今治市民の水瓶として大きな役割を果たしています。
2012年12月8日|
Category:四季の徒然
12月8日(土)に、玉川町女性連絡協議会・今治市玉川公民館主催の「玉川のつどい」がアグリプラザで開催されました。
先ず、市長さんのご挨拶がありました。
このつどいは、男性も女性も参加しているのですが、女性連絡協議会主催ということもあってか、女性の参加者が多く、市長さんは元気な玉川の女性たちにエールを送ってくださいました。
また市長さんご自身のお話も・・・。
若い頃は「俺についてこい!」で家族を引っ張ってきたのに、気が付いたら立場が逆転して、 お母ちゃんが主導権をとっている(笑)
が、やっぱり女性の笑顔が元気の素ですよ。
毎日1回は「愛してるよ」を言って感謝します(笑)と。
ユーモアたっぷりのご挨拶に会場は笑いにつつまれ、一挙になごやかな雰囲気になりました。
続いて、玉川町出身の市議会議員の越智豊さんからも、ご挨拶をいただきました。
12の町村が合併して新しい今治市が誕生して8年。
玉川町でいえば、ピーク時7,500人いた町民が5,500人に減っています。
しかし人口は減っても、町を元気にする工夫はいろいろあります。
「玉川のつどい」のように人とふれあう機会も大切にして、玉川を元気にしていきましょうということでした。
この 「玉川ねっと」もみてくださっているとの由。参加者の方々へ紹介してくださいました。
そして、いよいよ講演です。
「絆-家庭と地域-」と題してご講演くださる講師は、小松町の「のらねこ学かん」の塩見志満子先生でした。
先生は、昭和11年西宇和郡瀬戸町に生まれ、県立高校教員、県立養護学校教員を歴任され、 養護学校時代、障がい児教育に感心を持ち、退職後自宅横に知的障がい者がいつでもつどえる場として 「のらねこ学かん」を自費で建てられ、現在一人で運営し、ボランティアの人たちが支援をなさっています。
各地でご講演されて、人間に対する愛や、障がい児教育・育児問題などを取り上げ、多くの人々に感動を与えられていることに対して、 NHKトーク賞も受賞されています。
玉川とも今までもご縁があるのですが、今回久しぶりに玉川へ来てくださったのでした。
「下を向いて1円拾うより、上を向いて夢を見るほうが楽しいよ!」と、いきなりのご挨拶。
しかも年齢を感じさせない大きな声でマイクなしです。
それからの1時間30分は笑いと涙でアッという間でした。
特に印象深かったのは、元気に登校した小学校3年生のご次男を、プールの事故でなくされた時のことでした。
「誰がうちの子をプールに突き落としたんで!先生は何しよったんで!」
泣き叫ぶ塩見先生をご主人が「だれが・・はやめよう。私達も悲しいけど、その子はもっと辛い。
一生人の命を奪ってしまったことの罪の意識にさいなまれ、ご家族も苦しむ。
それより、息子は心臓マヒでなくなったことにすれば、マスコミから非難されることもなく、 罪は問われない。お前さえよければ・・・」と諭したというのです。
信じられない。そんなこと出来ない。
と、思いました。しかし、先生はおっしゃいました。
「人生最大のテーマは、どこまで人を許せるか。許して許して、それでも許して・・・」
それから30年。命日にお墓に花が飾られない日は一度もないし、「こうたろうくんのアルバム」 とタイトルがついた創作絵本をプレゼントしてくれたといいます。
場内あちこちから、すすり泣きの声が聞こえます。
99:1の割合で相手が悪くても、許しましょう。
皆がそんな気持ちになれば、子供をしかることも、夫婦ゲンカもいじめもない楽しい社会になる。
すべての始まりは家族からで、それが地域に広がっていき、家族が楽しかったら道で会う誰にでも 大きな声で挨拶ができるようになり、玉川は世界一の町になることができ、人口が減ることなんか少しも怖くない。
「玉川はお湯もいいけど人がいい。じゃけん玉川に行こぉ!」
30でも50でも100でも死ぬときに「玉川におってよかった」と思える町にしましょうと締めくくられました。
久々に心で聴いて、心に響くおはなしでした。
アトラクションは、「おはなしクラブ玉手箱」の皆さんによる玉川の民話紙芝居の上映でした。
「へんど墓」と「お釈迦さんと花まつり」の2作でした。
みなさん、地元に伝わるお話にとても興味深く聞き入っていました。
みんなで玉川の風景の映像を見ながら「ふるさと」を合唱しました。
最後に越智正人公民館長のご挨拶がありましたが、ほんとうにふるさと玉川で、人とのつながりを感じるいいつどいとなりました。
閉会後には、 用意されたパンジーをお土産に頂いて帰路に着きました。
主催された関係者の皆様方、ほんとうにお世話になりました。
2012年12月8日|
Category:玉川のニュース