浮穴俊樹氏宅のクロガネモチは雌株で、目通り(地面から約1.5メートルの高さ)周囲が3.5メートル、樹高16メートルで、
愛媛県下でもクロガネモチではベストテンに入る古木、巨木である樹齢は定かでないが、300年以上と推定できる。
浮穴家が庄屋になったのは、5代浮穴平兵衛俊宗時代の1620年頃と推測(今治郷土史「今治拾遺」資料編・近世㈵による)できるから、
その前後からクロガネモチは、浮穴家と法界寺の変遷を見守り続けているに違いない。
法界寺は、蒼社川が渓谷から今治平野に流れ出る喉元に当たる重要な地域であったのではなかろうか。浮穴俊樹氏のお話では、
玉川ダムができるまでは、北方(日高側)は浅川の石風呂へ、南方(清水四村側)は桜井石風呂へ法界寺地区の役員を招待したそうです。
つまり、農民にとって蒼社川の水はどんなに大切であったか。
水利権の重さをひしひし感じる。調水の碑(広報たまがわ平成6年1月号参照)の碑文に書かれている。
″水利権の調整に5年も掛かった事実″からもその一端を伺い知ることができる。
また、和霊神社も農地開放以前は神社の農地等があり、毎年年貢が入ってきたが、現在は何もなくなった。そのため、
お社の修理は当然氏子の分担になり相当な重荷になっていることも事実である。
浮穴家の庭にはお社があり、延享3年(1746)に宇和島の本社から勧誘してお祭りしたお社かもしれない。
その他、立派なギンモクセイもあり、風格と歴史を感じさせられる庭である。
浮穴俊樹氏にお聞きする。
三島神社は、神亀5年(1256)に創建された町内でも古いお宮の一つであ
入口両側にある幟立ては弘化2年(1845)。石段を上った所の狛犬は安政4年(1857)、常夜燈は文政5年(1822)、
鳥居は昭和58年のコンクリート製。南側のクロガネモチの株元にはさえの神(道租神)が祭られ、五穀豊穣と子孫繁栄を願っている。
北側に神社には珍しいケンポーナシの大木がある。注連石は文政3年(1820)の年号が刻まれている。
境内南側にはクロガネモチの雄株が1株、雌株が3株いずれも立派な大木である。
裏山にはコジイ・ヤブツバキ・ムクノキの老木がある。
北側にはツバキカンザクラが2株あり、境内の方の株は2月22日にはチラホラ咲いてりた。すぐそばにある梅林は白梅が満開でふくよかな香をただよわせていた。
浮穴政成氏にお聞きする。