大野神社は、延喜式神名帳に記載された伊予24座、越智郡7社の内の1社で、延喜元年(901)に建立された。
越智郡7社とは、今治市五十嵐の伊加奈志神社、朝倉村古谷の多伎神社、今治市八町の樟本神社、同別宮の大山祇神社、同日吉の姫坂神社、
同高橋の大須伎神社、それに大野神社の7社で、
戦前は7社参りが盛んに行われた。幟を持ってお参りし、その幟を大野地区順番にまわしたそうです。
以前は、この7社参りや和霊さん、牛馬の神様奈良原山、お瀧さん(菊間町歌仙の瀧)等々歩いてよくお参りしたものである。
考えてみれば非常に健康的な行事で、一石数鳥の効果が期待できたのではなかろうか。昔の知恵を復活したいものである。
この大野神社では、毎年4月4日におこもりをしているそうです。
まず石造物を見てみると、幟立は万延元年(1860)、狛犬は文久二年(1862)、″式内名社大野神社″の立派な社名碑は慶応4年(1868)、
鳥居は文政7年(1824)、中でも常夜燈は天保14年(1843)の作で、大きくどっしりとした感じで、電燈が灯るよう設備されていた。
注連石は、明治4年(1871)この年号が刻まれている。このように石造物はいずれも江戸末期から明治初期に造られている。
このことは、この時代になって経済が発展して、生活にゆとりができたこと。村の象徴として、神社仏閣等を競って立派にしていった結果ではなかろうか。
特に、石垣の美しさにはほれぽれとする。4段に積まれ、石段、石造物の配置の妙、美しさは、この神社の大きな特色であるように思う。
又本殿西側の庭は、2本の大木のクヌギを中心にして、池・石橋を配し、谷川からは水を引くなどして、イヌマキ、イロハモミジ、ヤブツバキ等がうっそうと茂っており、
調和のとれた幽すいさを感じる。
以上大野神社を設計した人はすばらしい感覚の持主ではなかったろうか。
ただ残念なのは、近年あまり手入れがなされていないのでは?。池には水がなく、荒れている感じである。私達は共有の神社にもう少し関心を持つべきではないだろうか。
ここで大変参考になることは、大正5年(1916)に立太子記念に植えられたサカキは、当時5、6年生の苗だとすると、樹齢は85年になり、
サカキの樹齢を推測する手掛りとなる。
こんな理由で、神社・社叢をよくみると大変面白い。特に石造物の年号は見れば見るほど興味深く、いろいろな情報を我々に提供してくれる。
浮穴政成先生の「鎮守の森」参考とする。
村上君子さん、八木干尋氏にお聞きする。