この神社は神亀五年(七二八)、聖武天皇の勅詔によって、
国司越智宿禰玉純が、大三島明神を勧請し、九四郷に九四社を奉祀
したと伝えられるうちの一社だそうです。
境内は約五三一㎡、非常にシンプルな佇まいで、
素朴な神社らしい神社と言えるのではないでしょうか。
石段を上って、拝殿前にあるコジイ(目通り一四〇cm)、
ヤマモモ(同一三〇m)、ヒイラギ(同三八m)、
ツガやモッコク等があり、自然の豊かな神社であると思う。
私がふと目を止めたのは、この神社の入口のアラカシの株元に
祀られているたくさんの珍石。
これはさえの神(道租神)ではなかろうか。
法界寺の三島神社のクロガネモチの株元に祀られているさえの神とよく似ている。
このさえの神は神社のものでなくて、川上家が“お地主さん”として祀っているもので、
当家のおばあさんが各地から集めてきた石だそうです。
いずれにしても川上家の子孫繁栄を願ってお祀りしているのであろう。
広報たまがわ“鎮守の森”「浮穴政成著」を参考とする。
川上満津枝さんにお聞きする。
九和小学校南側の竹藪の中にある墓地の下の段の石の上に
置かれている隠れキリシタン碑。
お顔の部分から上のみである。
これも前述の川上家でお祀リしているそうです。
川上さんにお聞きしても、言い伝え等一切わからないとのこと。
九和小学校の校庭の西側にあるお薬師さん。
真中の厨子の中にある木札には“文化十一甲戊年(一八一四)坂本坊現法印慧日・奉開眼薬師如来石像村
内安全祈処・十二月初九日當村庄屋助右衛門”と書かれている。
向って右側の厨子の中は、赤い前掛をはずしてみると、手に薬壷を持っているところから、
明らかに薬師如来の座像で、親しみのあるおだやかなお顔である。
真中の厨子の中にあった二体の木像は、虫が食っていて、
だいぶ傷んでいるので判別できないが、薬師如来の脇侍である
日光菩薩と月光菩薩を表わしたものか、それとも薬師如来そのものかわからない。
このお薬師さんは、九和小学校拡張の際現在の所に移されたものだそうで、
境内にあるキンモクセイの大きさから推察するとかなり昔の様である。
境内の草むらには、ホタルブクロがたくさん咲いていた。
以前はどこにでも見られた普通の山野草であったが、最近は非常に少なくなり、珍らしくなってきた。
よく気を付けて見ると、自然も変化しているようである。
山本馨氏にお聞きする。