祭神は天穂日命と菅原道真神。
配神は天古屋根命・太玉命・大市比売命・市杵島姫命・田心姫命。天慶5年(942)、筑紫大宰府より伊予へ勧請の28社の1社であったが、天正18年(1590)天津宮へ合祀した。
小千国造が神籬を奉斎の古社と伝えられる。大己貴・少彦名の二神駐し(狩に来られて宿られた所)の古跡で竜王の宮とも称され、又一説によれば神の岡とも呼ばれた。文中2年(1373)9月、高野山に潜伏していた長慶天皇が、北朝軍に大敗して、当玉川町に落ち、河野伊予守の警護を受けたともいわれ、龍岡とも称した。
なお、長慶天皇は久米神戸徳威(現在川内町)法水院にて崩御・御遺骨を分納の古墳は、奈良原の山頂にあると伝えられる。
玉川ダム建設に伴い、現在地へ。拝殿は昭和47年11月に完成した。その際イチノゴさん(鍛治屋にあった一之社)も移転している。
石造物では、幟立天保15年(1844)、社名石、鳥居昭和46年(古い鳥居は、折れたまま元の所にある)、狛犬文化3年(1806)、常夜燈は明和8年(1771)と天保年間(1830年代)、注連石は明治21年(1888)の銘があり、現在地へ移している。
旧社殿は、すぐ下の旧竜岡小学校跡と隣接しており、礎石は今も残っている。
天神社の森で特記しておきたいのはサカキの大木である。目通り234cmあり、県下一、ひょっとすると日本一の大きさかもしれないとのこと。
ツクバネガシは県下でも稀な樹種で、ここでは目通り150〜160cmの大木が群生している。
その他アラカシ、シラカシ、ツバキ、タラヨウ、クロガネモチ、カクレミノなビ樹種も豊富である。
この森は小高い丘となっており、ダムの満水時には、湖面に写す姿は一幅の絵になる眺めである。
又境内には、玉川町指定の宝篋印塔や五輪塔も多数あり、現在地に移されたとのこと。
これら宝篋印塔や五輪塔のできた年代を探ることができれば、興味深い史実が浮びあがってくるかもしれない。
山頂には海神社も祀られており、高い石段と祠もある。
元は鍛治屋の集会場の東側、県道の山際に祀られてあり、松が植えられていた記憶がある。
現在は、国道317号線鍛治屋バス停の東側に移転して祀られている。
阿部義文氏・浮穴政成氏にお聞きする。
青井 三郎