釈迦堂への参道は、鍋地、桂、御厩からの三本ある。
鍋地からの参道には、宝林寺入口に従是十一丁文化八年(一八一二)、十丁、八丁、七丁、五丁、三丁、二丁、鍋地
村○○、従是壱丁宝林寺宝暦二年(一七五二)大阪住津田○○の二つに折れた丁石が残っている。
八丁と七丁の間には桂木神社の鳥居、文化八年(一八一一)と常夜澄、文化十年(一八一三)がある。桂から
の参道には、登山口に従是丁宝暦二年(一七五二)の丁石と釈迦堂へ十四丁大正六年と刻まれた碑がある。
登るに従い、十丁、九丁、八丁、五丁、四丁、二丁の丁石が残っている。
また九丁の所には桂木神社の鳥居、寛政元年(一七八九)がある。
去らに駐車場の隅には、従是壱丁法蔵寺宝暦二年(一七五二)、大阪住津田孝伯立之、の丁石が残っている。
このコースの最後には、自然石の百八段の石段もあり、両側には、サクラ、シャクナゲ、サザンカ等が植えられている。
この石段の下から見あげる釈迦堂は趣きがあり、私の好きな風景でもある。
これらの丁石の大きさは様々であるが、ほぼ一三・五cm×一六cm×九〇cmの花崗岩製である。
丁石に刻まれている年号等から、宝暦年間の一七五〇年頃には、お釈迦さんは大変にぎわっていたこと。宝林寺と宝蔵寺
は釈迦堂近くの山中にあった可能性が強いこと等が読みとれる。
桂の人達のはなしでは、宝林寺は金楼の建桂側駐車場にある"従是壱丁宝蔵寺"の丁石***っている所の下付近、
宝蔵寺は御厩道は、窪田正氏、鴨川鹿好氏に案内していただいたが、昔日の面影はなく藪の道、昔は桜並木が美事で丁石
もあったとか。今はその桜も枯れている。途中ビョウソ(廟祖?)さんが祀られており、以前は九月一日に桂の人達が掃除
をしていたとか。
ビョウソ(廟祖?)さんは、宝篋印塔の塔身が失われているが、それは釈迦堂の山頂にある宝篋印塔に匹敵する
立派な物であった。鴨川鹿好氏によると、これは貴人の墓ではなかろうかとのこと。その横に五輪塔の水輪を除く他の
四輪があった。
これらのことが判明するにしたがい釈迦堂のロマンがほうふつとわいてくる。
何はともあれ、これらの参道は片道千二・三百米で、健康保持のためにも歩く距離としては手傾である。参道周辺の
植林を手入れし、各種の桜や紅葉などを植えると、一層魅力あふれるハイキングコースとなるだろう。鴨川鹿好氏、窪田正
氏、鴨川和氏、山本敏春氏にお聞きする。
青井三朗