13、龍岡上



(10) 古城跡

龍岡上地区には、中通城(11月号参照)を含め5つもの古城跡がある。これは戦国時代に造られたもので、幸門城の正岡一族の城で、自然険害の要地に造られている。

○法木谷城跡
 龍岡寺の裏山山頂付近にあったらしい。法木伯馬守の居城。

〇藤古城跡
 力石蒼社川の対岸の小高い山頂付近にあり、白石三郎太夫の居城。この藤古には、二町歩余の水田が開かれ、ここで産出する米は、それは美味であったとのこと。
 昭和35年頃からの経済の高度成長のため、美田には杉が植えられ、最後に残った八反歩程も耕作されないまま放置されている。

〇嵯峨子城跡
 木地の入口から、北三方ケ森林道を2km程のぼった所にあり、ここにも水田が二町歩程開けていたらしい。半分は杉林に、4分の1の五反程に桜が植えられ、ソメイヨシノが主で、シダレザクラやヤマザクラもあり、春爛漫それは美事である。水田も現在五反程耕作されている。城跡は、この桜の北の山頂付近で、円形で北方が欠けており、東西十五間(約27m)、南北二十間(約36m)。城主不明

○須賀城跡
 木地にあり城主不明とのこと。木地の集落から約600m上流の対岸、海抜440mの山頂付近にある須賀神社のあたりらしい。
 この須賀神社の祭神は、大山祗神、大己貴神、猿田彦神、大市比売神、田心比売神、市杵売神で由緒は不詳。
 社叢は町内きっての自然林で、約100種の植物があり、樹木で主なものは、アオガシ、アカシデ、アツカワコナラ、ウラジロガシ、ウラジロノキ、カヤ、コナラ、ダンコウバイ、ネジキ、ネズミサシ、モチノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、リョウブ、リンボク等で、いずれも大木ぞろいである。
 なかでもネジキは周囲1.5m、高さ10mで県下最大。ネジキは普通は周囲30~40mどまりの樹種であるので珍しい。周囲2.5mのコナラ、2.1mのアツカワコナラも樹種としては特別大きい。
 “てんのんさんの森”として親しまれ、新緑と紅葉がとても美しい社叢である。
 

(11) 力石

力石には明治初期頃には27軒もあったらしい。それが現在は3軒。水田も蒼社川左側だけ一町五反以上あったらしい。その内最上部三反程は杉林、もう30年は経ているだろうか。その下部四反程はシキミなどが植えられている。今も水田として利用されているのは最も下部で便利な所八反程。
 昔は主食の米を作るため、どんなに苦労したことか。何粁も先から水路を造り、水を引き込み、少し平担だと、高い畔を築き、段々にして、何百年と掛けて美田にしていったことだろう。’
 それがである、たった30年余の間に一瞬にして、杉林になったり、シキミ畑になったり、荒れるにまかせたりである。
 過疎となり、人間が住なくなってやむを得ないこととは言え、水田跡に植えられた杉林が手入れもされず、植えたきり荒れるにまかせている現状を見るにつけ、胸の痛む思いがする。
 環境保全が重要な課題となっている今日、昔から汗と知恵によって積み重ねられて来た技術の良い点(例えば、資源の使い捨てだけでなく、循環して活用する技術等)を学び、後世に、良い自然環境を保存していく責務があるように思う。

玉川町誌を参考とし、別府高雄氏、浮穴政成氏にお聞きする。
 青井 三郎

玉川ウォッチング