3、摺木



(4)九和小学校のユウカリ 

九和小学校の校門横にユウカリの大木がある。
九和小学校卒業生の方々には、人生の折々に思い出される『九和小学校の象徴の木』 になっているのではないだろうか。
 ユウカリジュ (ふともも科・ユウカリジュ属)は、 オーストラリア原産で明治十年(一八七七)頃渡来し薬用。
葉は小油点が散在し、樟脳の芳香がある。
花は夏・古い枝の葉えきに緑白色の一花をつける。
樹脂からユーカリ油をつくり薬用にする。
和名は有加利樹(原色牧野植物大図鑑・北隆館による)  オーストラリア原産のユウカリが、いつ頃、 どんな理由で九和小学校に植えられたのだろうか。
 「木と語る・えひめの巨樹・名木」(財団法人愛媛の森林基金)によると 桜井小学校にもユウカリがあり、
こちらの方は明治三十四年(二九〇一)に高さ一・七mの苗木を植えたうちの一本とのこと。
桜井小学校の方は目どおり五・一m。 樹高約三八m。九和小学校の方は、目通り二・八五m、樹高約十五m
(玉川の文化財・玉川町教育委員会)と桜井小学校の約半分である。
浮穴政成先生のお話では、九和小学校の方もおそらく桜井小学校と同じ年代の明治三十四年頃 植えられたものだろう。
大きさに差が出たのは、九和小学校の方は崖縁にあり、育つ条件が悪かった のではないかとのこと。

(5)新池

この池について、全くすばらしい資料が残っていた。
計画・着工・工事内容・予算など詳細に記録されており、貴重な資料でないかと思われる。
 今年のように日照りが続くとため池のありがたさが実感されるのであるが、普段は………。
 一つのため池を造るのに、どの様な苦労があったか等々興味深い。
折しも、この新池が完成してから、来年平成七年で満百年になる。
 以下この資料を読んでみる。
〔明治二十六・二十七年と続い
て大旱魃で、田圃の七、八割が被害を受け、その後水害を受けた。
 明治二十七年旧八月に部落で新池を造ることに決定する。
予算は米百五十俵で、そのうち五十俵は摺木部落の共有米を当てる。
その他、同二十七年の水害での復旧工事国庫金五十円を当てている。
 新池の水面面積三反二畝十八歩、内堤敷地三畝二十七歩、堤高四間半(約九m)。
 着工は明治二十七年旧十一月八日、完成は翌二十八年旧三月十七日、工期は五ヶ月間。
当初は一日に四十五名、二月からは大野・与和木の応援を得て一日五、六十名で突貫工事。
賃金は子供等が一日当たり米四・五合、大人が米二升四、五合。
旧四月二十三日に落成式をしている。
 決算は、米百五十二俵三斗二合四勺六才と細かい。
 なお、『ため池台帳』によると新池の設置は一八九七年(明治三〇)でなぜか二年のずれがある。

『明治二十八年製・ため池創設録・越智郡九和村大字摺木』
解読は品部政夫氏
         青井 三郎

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