5、鍋地



(1)四郎明神社

 当社は、大宝元年(七〇一)に大三島の大山祇神社から勧請 され、寛永六年(一六二九)に、殖産に偉功のあった河野四郎 為世の霊を迎えて合祀したお宮で、社名もここからきている。
 石造物をみると、社名石には「四良神社」とある(玉川町誌には四郎明神社とある)。
 幟立は明治十七年(一八八四)、鳥居は天保三年(一八三二)、 狛犬、常夜燈、注連石はいずれも明治四十二年(一九〇九)の銘がある。
 境内には、各組々で祀っていた宮島さん、荒神さん、おほこさん等多くの神さんが合祀されている。
これは明治時代に一村一神社と定められたとき、各地区で祀られていた神々を合祀したものである。
 境内はあまり広い方ではないが、社叢は立派で、スギ(目通り二四〇cm)、イロハモミヂ(一六三cm)、 アラカシ、クス、サカキ、モッコク、サワグルミ、ナナミノキ、ネズミモチなど木の種類も多い。
なかでも社殿の後にあるヤブツバキの大木群はすばらしい。
目通り九一cmのものを筆頭に、六〇〜七〇cmのものが所狭しと並んでいる。
 広報たまがわ“鎮守の森”(浮穴政成著)、玉川町誌を参考とし、徳生重喜氏、井出政信氏にお聞きする。

(2)宝林寺

府中第五十九霊場で、曹洞宗、杉尾山宝林寺と号し、本尊は薬師如来である。
本堂は昭和五十四年二月に建造された。
 このお寺も、釈迦堂を中心として栄えた七宝寺の一つで、幾多の盛衰を経て現在のように 曹洞宗のお寺となったのは、藤堂高虎か今治に城を築いた約四百年前のことと言われている。
 なぜか釈迦堂の由来と、それにまつわる曹洞宗寺院の由来とが、全くくい違っている。
七宝寺の存在が全くの伝説とは思えなく、 これらの寺院が曹洞宗の寺院として開山される前に、九和地区に全く寺院がなかったとも思えない。
曹洞宗の寺になったと同時に、それ以前の由来を、意図的に消したとさえ思われる。
 宝林寺が無住となって以来、円光寺(今治市米屋町)の住職が兼任している。
 なお、昭和五四年の本堂建立の際、鍋地の発展と住民の延命を祈願して延命地蔵を造りお祀している。

 玉川町誌を参考とし、徳生重喜氏、井出政信氏・卜部鬼四郎氏にお聞きする。  青井三郎

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