お観音さんは、目の仏さんだそうです。一説には如意輪観音ということで、玉川町誌にもそう記載されている。光林寺渡邊眞憲氏に写真をお見せして、
鑑定していただいたところ、杖を持っているところは地蔵菩薩のようだが、頭に螺髪と肉髪があること、脇侍の手の形などから向かって右は観音菩薩、
左は勢至菩薩と読み取れるところから、どうも阿弥陀如来のようである。
よく見ると、錫杖を持っている手が、不自然な様子、ひょっとしたら後世仏像の修理の際、錫杖を持たせたのかもしれない。だとすると、なぜ
そうしたのだろうか?なぞが深まる。これは全くの私見にすぎないが、大野には六地蔵さんがないとのことなので、阿弥陀さんに錫杖を持たせ、
地蔵さんの役目も併せて受け持ってもらっているのではなかろうか。
渡邊眞憲氏によると、医王寺は現在は中村だが、その前は大野の金藤内科の南隅付近にあったそうです。その跡はお堂で、この仏像が祀られ、
一時は桂の宝蔵寺にも預けられたこともあり、現在の観音堂に安置されたとのことである。
又、過去何回か修理に出されたようだが、お顔の部分の傷みが進んでいるようである。
このように玉川町内の各地にあるお堂の仏像等を詳しく見ていくと、面白い発見があるかもしれない。
阿部須磨子さん、村上君子さん、渡邊眞憲氏にお聞きする。
玉川町農協の道路を隔てた北側の小高い丘の上に自然石でできた立派な常夜燈がある。葛が巻いていて、なかなか趣のある姿である。
いつ頃、何の目的で、誰が造ったものだろうか。
三島千尋さん宅に面白いものがあるとのことで、明治33年9月(旧暦)の石橋改修寄附帳を見せていただいた。
この寄附帳の見取図にこの常夜燈が明らかに描かれているではないか。明治33年頃の大野橋付近の様子が描かれている。
また、大野僑の改修の趣旨や世話人の名前等が書かれており、貴重なものではなかろうか。
この常夜燈は明治33年にはもう造られていたことは間違いないようである。
玉川町の各地にある金比羅さんの常夜燈と同じ類で江戸時代後半に造られたものではなかろうか。
村上君子さん、三島干尋さんにお聞きする。
青井 三郎