祭神は大山積神・配神は高靇神・雷之神・
神亀5年(728)聖武天皇の勅詔によって伊予国94郷に94社の大三島大明神の神霊を、国司伊予守越智玉純
の奉行で勧請した。
境内地は1,672平方メートルで、蒼社川中流の左岸に接する水利に恵まれた場所である。
クリハラン、オオバノイモノトソウ、ヤブソテツなどのシダ類の宝庫。鳥居横のクスノキ(目通り4・5m)、
アラカシ(根回り5・8m)、コジイ(2・50m)、タラヨウ(1m)などの老木が茂り、なかでもルリミノキ
(あかね科)は県下でも珍しい木である。
石造物では、幟立は嘉永7年(1855)、常夜燈弘化3年(1848)、社名石大正14年(1925)、
鳥居は文化6年(1809)の銘がある。
狛犬は明治41年(1908)で、鈴を踏づけているのがユニークである。どんな理由があるのだろうか?
興味深い。
建物では、本殿が慶長9年(1604)の建立だそうで、桧皮葺きで、その上をすっぽりと瓦葺きでおおっている。
拝殿は明治33年(1900)の建立だそうで、なかなか立派で荘厳な感じがする。
屋根のこうりょうは、鬼原で切って、蒼社川を渡り、引き上げたのだそうです。
拝殿には、百人首が奉納されていたり、境内にあった発電所の歴代の経営者名等が奉納されている。
この神社の立派なたたずまいは、これら発電所などの多額の寄附があったためではなかろうか。玉垣には、長谷以外の寄附
者の名前が多数刻まれている。
この水力発電所は、今治地方では最初にできたもので、明治40年(1907)11月竣工、同年12月から送電を開始した
もので、今治及び越智郡陸地部に供給されていた。
取水口は横山で、水路で三島神社の拝殿の近くまで引いて行って、そこから、川原まで鉄管で落し発電機をまわしたもので、
有効落差は61尺(約18m余り)発電力は180kWとのこと。今も水路と、斜に鉄管を取り付けた石垣の台が残っている。
発電を開始したとき、本当に発電されているかどうか確認するために、精米所のモーターをまわしたと伝えられているその
モーターは、今も吉原角一氏(長谷)宅に残されているとのこと。
この長谷発電所は、今治電気株式会社が創立され、その会社がつくったものであるが、合併
が繰り返され、現在の四国電力に発展したものであろう。
長谷発電所が操業していた時代の会社の変遷が、三島神社の寄附者名簿等によりわかり、興味深い。
浮穴政成氏、阿部秀雄氏にお聞きする。
青井 三郎