聖武天皇(724)の御代に伊予の国24ヶ所に三島新宮神社を再建したその古社の一つで、
別所新宮とも言われた古いお宮である。
境内地は、2,020平方メートルで、植物の種類が多い社叢である。代表的な樹種はツクバネガシで、目通り2m前後の老大木が
多くある。その他、ツブラジイ・アラカシ、ウラジロノキ、イロハカエデ、ヤブツバキ、ヒサカキ、モッコク、
カクレミノ、ヤツデ、アセビ、シャシャンボ、ナツハゼ、マンリョウ、ヤブコウジ、ネズミモチ、テイカズラ、クサギ、
キリ、アリドウシ等々、高木から低木、シダ類からつる
性植物まで非常に植物の種類が多い。
石段を上がった所に、楠があるが、この楠は昭和天皇御大典(昭和3年)記念に植樹したものだそうです。
石造物としては、幟立は明治23年(1890)、狛犬昭和45(1970)、鳥居文政11年(1828)、
注蓮石昭和55年(1980)、特に自然石で造った常夜燈はなかなかの趣がある。
社殿の前にある狛犬は、小さいながらも、文化12年(1813)の銘があり、大変面白い。
戦前は、摺木と2地区の神社であったそうで、戦後摺木は事代主神社を建て別になったそうです。
社殿は、昭和45年に草葺だったものを立て替えたそうです。
三反地上成は、典型的な川岸段丘で、蒼社川と大野川の侵食作用により形成された。
私は、上成にあがったとき、このような高地に水田が広がっているのを見て、これだけの広さの水田を潤すだけの水
をどこから引いているのだろうかと不思議に思ったことがある。
この水は長谷横山の一ノ瀬堰から引かれており、長谷の複雑に入り組んだ地形を、高低差2・3mで
ほぼ水平に造られているそうです。
現在の様に機械力もなく、どのようにして水平をとったのだろうか?夜明りをともした提燈を並べて、それで水平をとった
のだそうです。
また、セメントなどない時代で、水路の補修や水漏れ防止などいろいろ苦労したことでしょう。
第八大区十小区越智郡三段地村の絵地図が残っている。この地図はおそらく明治初期に書かれたものだろう。貴重な資料で
はなかろうか。この地図では上成はすでに水田になっている。この上成が開墾されたのは、何の時代であろうか?
また明治27年作成の地図も残っており、この地図の地番と、現在の地番は一致するそう
です。
浮穴政成氏(法界寺)、桑原進氏、田中繁伯氏にお聞きする。
青井 三郎