万葉の森(12) 植物園づくり

43 カシワ [万葉名:このてがしは(ぶな科)]

千葉の野のこのてがしはのほほまれど あやにかなしみ置きて誰が来ぬ

大田部足人 巻二十-4387

千葉の野に生えているこのてがしはの若葉のように、まだつぼみのままだがやたらにかわいくてならないので、そのままにしてはるばるやって来た、おれは。

大田部足人は天平勝宝七年(七三五年)筑紫に遣わされた防人で、現在の千葉市付近の出身。このてがしはは一種の植物ではなく、ある場合には落葉のカシワやコナラ、トチノキを、ある場合は常緑のコノテガシワと見られていますが、ここではカシワを取り上げました。
カシワは落葉中高木で、冬枯葉が落ちないで翌春まで樹上に残ります。材はミズナラとほぼ同様に器具材、家具材、洋酒の樽材に、樹皮はタンニン原料や茶褐色染料に、鉄塩を加え黒色染料に用いられます。葉は、餅等を包みます。昔から縁起の良い木として慶事、神事に使われました。

115 ヌルデ [万葉名:かづのき(うるし科)]

足柄の吾をかけ山のかづのきの 吾をかづさねもかづさかずとも

東歌 巻十四-3432

足柄の私を心にかけるというかけ山のかづのき、あの木がその名のようにいっそ私をかどわかす、そうかどわかしてくれたらいいのにな、たとい門が開いていなくても。

東歌は東国の短歌で、巻十四に集められています。相模の国(神奈川県)の歌足柄は足柄郡。かづのきはカジノキ(くわ科)とする説もありますが、相模地方でのヌルデの方言であるとする考えが有力です。
ヌルデは落葉小高木で葉にあぶらむし類による虫こぶ(五倍子)ができます。材は器具材、小細工物等に、五倍子は染料等(鉄媒染で黒色に染める加賀友禅は有名)、果実の煎液は下痢、痰、せき止めに、葉は乾燥して黒色染料に用います。葉にウルシオールがあり、かぶれることがあります。

176 ヤマハゼ [万葉名:はじ(うるし科)]

・・・皇祖の神の御代よりはじ弓を手握り持たし真鹿児矢を手挟み添えて・・・

大伴家持 巻二十-4465

・・・皇室の先祖の神の御代から、はじの木で作った弓を手にしっかりと握ってお持ちになり、まかご矢を脇挟み持って・・・

天平勝宝八年(七五六年)六月、家持が大伴一族の古慈斐が罪を受けて捕えられた時、一族の者たちを諭して詠んだ長歌です。はじ弓とは、はじの木で作った弓で古代ははじを弓の材料にしていました。まかご矢とは、鹿の角などを矢じりに用いた矢でしょうか。
はじはヤマハゼの古名で、落葉小高木です。一般に小径木でまとまった用途はありませんが、建築雑用材、器具材に用います。葉にはウルシオールがありかぶれます。葉の煎汁を絹の萌黄色染料に用います。実からは、かつて木ろうを生産したといわれています。

179 ヤマモモ [万葉名:もも(やまもも科)]

春の苑紅にほふももの花 下照る道に出で立つ少女

大伴家持 巻十九-4139

春の庭はももの花の紅に照りはえ、そのももの木の下の照り輝く道に若い娘が立っています。

天平勝宝二年(七五〇年)三月、家持が赴任先の越中で庭のももの花を見て詠んだ歌です。ももはモモ(ばら科)、ヤマモモがありますが、昔はヤマモモを単にももと呼んでおり、中国からモモが渡来しました。この歌からはモモであるかとも思われますが、ここではヤマモモを取り上げました。
ヤマモモは常緑中高木で、雌雄異株、花は三~四月に開花、六~七月に熟します。材は雑器具、玩具類、薪炭材に、樹皮にはタンニンなどを含み黄色、褐色などの染料(大島紬、丹波布、秋田黄八丈など)、薬用(下痢止め、利尿、血管補強作用)、熟果は生食、酒、ジャムに加工します。また、治山、緑化樹、防風樹として植えられています。