松山におけるウメの開花の平年値(三十年間)は一月六日で年々早くなっていく傾向にあります。開花の記録をとるのは大変ですが、植物と仲良くする手だてとして楽しい仕事の一つになりそうです。
わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の流れ来るかも
大伴旅人 巻五-822 万葉集中 一一九首
「わが家の庭園に梅の花が散っている。あるいは、はるか天の彼方から雪が流れて来るのであろうか」
万葉時代のウメは総て白で、この純白に心惹かれて詠んだ歌が十六首あります。どの歌も梅の白さを雪にたとえたものです。
ウメは古来日本にも自生する説と中国渡来説がありますが後者の説が有力です。古事記・日本書記にウメの記載はなく、奈良時代(七一○~七八四)の少し前、初期の遣唐使が中国文化とともにいち早く持ち帰り、急速に日本中に広がっていったのでしょう。清楚な香りとあでやかな姿、「花の兄」とも呼ばれるウメは、いち早く春の訪れを告げます。万葉時代から親しまれてきただけに、名所・名木は北海道以外の日本全国にあります。北野天満宮や太宰府天満宮は別格ですが、四国では栗林公園、県内では五十崎町の竜王公園が見どころです。近隣では桜井志々 満原に梅園があります。
ウメを愛好するのは日本、朝鮮、中国の限られた民族だけです。
ウメは日当たりがよく水はけのよい所、午前中日が当たれば充分です。
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな 巨勢の春野を
坂門人足(さかとのひとたる) 巻一54 万葉集中 九首
「巨勢山の沢山の椿をつくづく見ていると、今は花がないが、花の盛りの巨勢山の春はさぞ美しいだろう」
今はこのツバキにも多くの園芸品種が生まれていますが、万葉時代のツバキはヤブツバキ(一名ヤマツバキ)でした。葉が常緑で光沢があり、その花が美しいので古事記や日本書記にもとりあげられている日本原産の植物で日本産には次の三変種があります。