万葉の森(23) 植物園づくり

万葉の里・明日香 京都研修記

去る二月十四日・十五日の二日間、文化財専門委員五名、教育委員会担当職員二名の計七名で万葉文化の里明日香村と京都方面の研修に出かけました。

まずは、昨年九月十五日に公開された「奈良県立万葉文化館」の見学を主な目的に明日香村へ向かいました。到着時刻が早くて開館まで時間があったので、近くにある「石舞台古墳」(写真参照)を訪れました。巨石を積み上げた日本でも最大級の横穴式石室を持つ古墳で、明日香のシンボルの一つになっています。巨石を覆う盛り土が長年の間に失われ、石室の巨石が露出したのです。七十五トン級の花こう岩が三十数個も使用され、玄室(棺が置かれる場)の長さ七・六メートル、幅三・九メートル、高さ七・七メートルの上に置く天井石は特に巨大です。

開館時間がきたので万葉文化館に入館しました。入って建物の大きさにまずびっくり……日本画展示室、企画展示室、展望ロビー、万葉図書・情報室、エントランスギャラリー、ミュージアムショップなどのある一階、万葉劇場、万葉おもしろ体験、歌の広場、一般展示室、特別展示室、万葉古代学研究所、友の会事務局などのある地下一階の造りですが、かなり上手に見学しないととても一日では見学できません。次は万葉庭園を歩こうということになりましたが、ここはまだ造成中で驚くほどではありません。斜面を利用した庭は植え込みと石組みが周囲に溶け込み、ポンプアップされたと思われる水の流れも豊かで申し分のない造園といいたいのですが、植え込みされた万葉植物の活着が課題であると思われます。昨年のオープニング記念式典で、奈良県知事が「日本全国各地に散在する万葉集に関する施設の総本山として発展させたい。そしてここから、県内外、世界へ“万葉文化”を発信することを期待する。」とあいさつされていますが、意気込みのほどが伺われます。

午後は万葉から離れて西国三十三ケ所第七番霊場の竜(りゅう)蓋寺(がいじ)(岡寺(おかでら)と第六番霊場の南法華寺(みなみほっけじ)(壺坂寺(つぼさかでら)に参けいしました。どちらもかっこ内の名前が参けい者に親しまれているようです。壺坂霊験記で喧伝されている壺坂寺は大工事が続行中で完成を見届けたいものです。

二日目は万葉の里を離れて京都府左京区の鞍馬寺・貴船神社に向かいました。叡山電鉄始発駅の出町柳駅を出るころは上天気だったのが、最終駅の鞍馬駅に着くころは大雪でした。同乗の土地の人に聞くと近年にない雪降りだといわれる。鞍馬寺ケーブルを降りた多宝塔は真っ白、鞍馬寺までの参道は積雪で要注意、どうにか本殿金堂までは進めましたが、木の根道を経て貴船神社への山下りは不可能になりました。鞍馬寺霊宝殿にある国宝銅経筒、金銅三尊像は休館のため参観できませんでした。叡山電鉄鞍馬線で貴船口駅まで戻り、貴船神社へ向かいました。貴船(貴布祢)神社の分霊は県内にも十四社あり、その筆頭は長浜町白滝の貴船神社で、喜多郡の一宮と尊崇された御社です。由緒によると聖武天皇の神亀五年(七二八年 九月 二十三日、勅語により国司越智玉澄が 山城国愛宕郡貴布祢神社より観請奉紀したとあります。古代より水神を祀り雨乞い、雨止め神として信仰されており、この二社は水に恵まれたところに鎮座しています。

47 カブ(あぶらな科)[万葉名:あをな(蔓菁)]

食薦(すこも)敷き 青菜(あおな)煮(に)持(も)ち来梁(うつばり)に 行(むか)ばき懸(か)けて 息(やす)むこの公(きみ)

長意吉麿(ながのおきまろ) 巻十六-3825 万葉集中一首

食器をおく敷物をしき、青菜を煮て持ってきなさい。はりにむかばきをかけて休んでいるこの方のところへ。

大陸からのカブの渡来は一三〇〇年前で、万葉時代には栽培されていたようです。現在のカブのような形をしていたかどうかははっきりしませんが、食用にしていたことは確かです。根茎を食べる現在のカブより地上部を食用とする緑色をした葉菜類を万葉人は食用にしていたと想像するほうが楽しいでしょう。