紅はうつろふものそつるばみの なれにし衣になほ及かめやも
大伴家持 巻十八-4109
見た目鮮やかでも紅は色のあせやすいものです。地味なつるばみ色の着古した着物にやっぱりかなうはずがあるものか。
天平感宝元年(七四九年)五月、越中守家持が部下のあそびめの色香に迷っているのを教えさとした歌です。
つるばみはもとはどんぐりの古名でクヌギのどんぐりをさします。昔はクヌギのドングリを煮て、それに鉄を媒染剤として着物を染めたものがつるばみ染めで、黒ないし紺黒で一般庶民の日常服でした。
クヌギは落葉中・高木で各地で見られます。材は乾燥でそるので器具材、車両材、しいたけのほだ木、薪炭に、樹皮は生薬(湿疹、気管支炎)に、葉・実は染料に、また実の澱粉は食用に、葉は天蚕の飼育に用いられます。
下毛野美可母の山のこならのす まぐはし児らは誰がけか持たむ
東歌 巻十四-3424
下つけの三かもの山に生い立つこならの木、その瑞々しい若葉のように、目にも爽やかなあの子はいったい誰の妻になることであろうか。
下毛野(栃木県)、三かもの山(佐野市と岩舟町に跨る大田和山)。
コナラは古名をははそ、方言でほうさと言われ里山にごく普通の落葉中高木です。樹皮がクヌギより白く、縦列することが少なく浅いです。材はミズナラと同様に器具材、家具材、樽材、しいたけのほだ木、薪炭材に、小枝にタマバチ類による虫こぶ(五倍子)が生じタンニンを含みます。実はタンニンと澱粉を含み、澱粉は食用になります。
・・・神の命奥山のさかきの枝に しらか付け木綿取りつけて・・・
大伴坂上郎女 巻三-379
・・・代々の先祖の神様よ、奥山に生えているさかきの枝にしらか(祭祀用の幣帛)を付け、木綿しでを垂れて・・・
天平五年(七三三年)十一月、大伴の氏神をまつるときに作った長歌です。坂上郎女は大伴家一族の祭祀を司る立場にありました。
さかきは上代には常緑樹の総称として用いられていましたが、平安期以降はサカキをさして言うようになっています。さかきは栄え木、境木の意で神聖な地に植える木とも言われ古代から現代に至るまで神を祀る時の必須のものとして用いられてきました。ヒサカキもひささぎの他さかきと言われていましたが、ここではサカキを取り上げました。
サカキは常緑の小高木で自生もありますが、神社などによく植えられています。床柱、器具材(柄、天秤棒)、小細工物、枝葉は玉串として神事に、なおヒサカキは常緑の低木または小高木でサカキの代用に、灰は媒染剤とします(あくしばの別名)。
玉くしげみむろの山のさなかづら さ寝ずはついにありかつましじ
藤原鎌足 巻二-94
みむろの山のさなかづらではないがあなたと共に寝ないではこうして生きていることはできないでしょう。
玉櫛笥は枕詞。みむろの山は三輪山、内大臣鎌足が鏡王女を訪ねた時王女が送った歌に対する返歌、鏡王女は舒明天皇の皇女か、または額田王の姉か、後鎌足の正妻となり不比等を生んでいます。
サネカズラは別名をビナンカズラと言われ、皮を剥ぎ水に浸して出る粘液を昔の男性が整髪に用いました。大阪では美人草と称したというから必ずしも男性用に限らなかったようです。常緑のつる性木本で他の木にからまり高く登り秋になると鹿の子状の赤い偽果がたれ下がりつきます。果実はなんごみしと言い強壮剤や咳止め等に、樹皮の粘液は製紙の糊料等に用います。