みなわなすもろき命もたく縄の 千尋にもがと願ひ暮しつ
山上憶良 巻五-902
水の泡にも似たもろくはかない命ではあるものの、たくの縄のように千ひろの長さほどあって欲しいと願って暮らして来たことだった。
天平五年(七三三年)、老いて病に苦しむ億良が子らを思ふ歌八首のうち。たくはコウゾ、カジノキの古名で昔両者の間にほとんど区別がなく同じものとされていました。
カジノキは古来南方から渡来した種でコウゾに似ていますが、形がやや大にして葉の表裏に毛を有するなどが異なっています。落葉高木で雌雄異株、材は器具、箱などに、樹皮繊維はコウゾとともに和紙原料に、コウゾよりやや質劣る。東南アジア地域では樹皮繊維を衣料、縄などに利用しています。
白浪の浜松が枝の手向草 幾代までにか年の経ぬらむ
川嶋皇子 巻一-34
白波よせる浜辺の松の枝に結ばれたこのたむけのものは、結ばれてからもうどれくらいの年月が経ったのであろうか。
持続天皇即位四年(六九〇年)九月、紀州へ行幸したとき、川嶋皇子(天智天皇第二皇子)が詠んだ歌。手向草とは旅人が旅の安全を願って神に供える品で布、糸、木綿などが用いられています。この松は海岸の松であるのでクロマツと思われます。関西では海岸にあるのはすべてクロマツです。万葉集に松を詠んだ歌が六十九首あります。
クロマツは雌雄同株の常緑の高木で本州、四国、九州の海岸地帯で普通に見られますが、アカマツと同様に近年松くい虫の被害で少なくなっています。材は建築、土木などに、松脂の採取に、正月の飾り物に、葉は食用に、その外庭木、盆栽に用います。副産物として松露、松茸が採れます。
吾妹子に逢はなく久しうまし物 あへ橘の苔生すまでに
作者不詳 巻十一-2750
あの娘にはもう長い間逢っていない。あのおいしいあべ橘に苔が生えるまでの長い間。
この歌は木にたとえて寄せた恋の歌です。あべ橘にはダイダイ、クネンボ、ニッポンタチバナ、ユズとみかん科の食用みかん類があげられます。ダイダイ、クネンボ説が有力ですが、ここではダイダイを取り上げました。
ダイダイは常緑の小高木で栽培種です。種名は代代の意で実の新旧が緑と黄とかわり継ぐためといわれています。食用にするほか皮は健胃、去痰、感冒などの薬用に、果汁は酢の代用に、また正月の飾り物にします。
たらちねの母がそのなる桑すらに 願へば衣に着るといふものを
作者不詳 巻七-1357
母が自分の仕事としている養蚕の桑の木のようなものでも、願へば着物として着られるというのに。
たらちねのは母の枕詞。なるは生業の意、生活の資を得るための仕事。木から繭、さらに衣服へと変えることができる不思議さから、どんな困難な恋でも成就できるであろうと詠んだ歌です。
ヤマグワは雌雄異株まれに同株の落葉高木です。材は建築材(床柱など)、天然木化粧合板、指物材、彫刻材等に、根皮は生薬として消炎性利尿、葉は駆風、整腸に、また生葉は養蚕に、実は生食のほか日干したものは強壮効果が、果実酒(滋養強壮など)に、樹皮は強靭なため和紙に混用します。