三くりの那賀に向へるさらしゐの 絶えず通はむそこに妻もが
作者不詳 巻九-1745
那賀のすぐ向かいにあるさらし井の水、その水が絶え間なくわくようにひっきりなしに通いたい。そこに妻がいてくれたらよいのに。
この歌は作者不詳ですが、この歌のように万葉歌の半分以上の約二、三〇〇首が作者・時代ともに判明していません。
那賀は今の水戸市那賀町あたりです。
三くりは実がいがの中に多くは三個入っていることから中(なか)の枕詞として用いられます。
クリは落葉高木で、野生のものはクリ玉蜂の被害で減っています。材は堅くて耐水性があるので、古くから建築材として、また土木、枕木の用材として、その他家具や細工ものに、樹皮は染色に、葉・皮・いがの日干は生薬として用いられます。実は昔から広く食用にしています。
さいかちに延ひおほとれるくそかづら 絶ゆることなく宮仕へせむ
高宮王 巻十六-3855
さいかちの木にいたずらにはいまつわるへくそかずら、そのかずらのように長くいつまでも絶えることなくお仕へいたします。
高宮王、いつ詠まれたものかは分かっていません。
さいかちはまめ科の落葉高木で、幹に枝の変化した刺が多数ついています。夏頃、淡黄緑色の花が密に着きます。実(さや)は長さ二十~三十cm、熟すと黒褐色になります。用途は建築材、器具材、家具材に用いられます。さやは生薬として去たん薬で気管支炎に、またサポニンを含み泡立ちがよく洗濯、皮膚病で石鹸が使用できないときなどに用います。乾した種は腫物の解毒に、葉は食用、花は薬湯に用います。
妹が見しあふちの花は散りぬべし わが泣く涙いまだひなくに
山上憶良 巻五-798
妻が好んで見たあふちの花はいくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。
この歌は筑前守憶良が上司大宰府長官大伴旅人の妻の死を悼み、神亀五年(七二八年)七月に詠んだ歌です。
あふちはセンダンの古名で、冬葉がすっかり落ちたあと黄色に輝く実が枝一面に群がりつく様子が千球(せんだま)千団子(せんだんご)に似ているからという説もあります。万葉時代にはこの花が愛されていたようです。
センダンは暖地性の落葉高木で五~六月頃こずえに薄紫色の小さい花を多数つけます。用途は家具材、器具材、寄木細工、彫刻材、下駄材のほかケヤキ、キリの模ぎ材として用いられます。樹皮、根皮は海中、鈎虫、条虫の駆除薬に、枝葉は有毒で殺虫剤として用いられます。
なお、古来有名なことわざ「せんだんは双葉より芳し」とせんだんは香木ビャクダンのことでセンダンではありません。
山の際に雪は降りつつしかすがに このかはやなぎはもえにけるかも
作者不詳 巻十-1848
山あいではまだ雪が降りつづいているが、もうこのかはやなぎは芽をだしてきています。
やなぎは水辺を好み、川岸などに生えているので、川の瀬に木を並べて水をせき止め、川を下る魚をとる仕掛け「やな」に多く用いられていた木からとの説もあります。 ネコヤナギは花が絹毛で覆われ猫の尾に見立てたものです。雌雄異株で雄株の花が長くふっくらしています。正月のぞうにばし、小正月のもち花、弓材、若葉を茶の代用に、花のついた枝は切花、活花に用いられます。