・・・あしひきのこの片山に二つ立つ いちひが本に梓弓八つ手挟み・・・
乞食者の詠 巻十六-3885
この片山に並び立つ二本のいちひの根っこの下で梓弓を八本手で挟み・・・
乞食者(ほがひびと)とは、家々の門口を廻って寿歌などを歌って祝い、施しを受けた芸人で、鹿のため痛みを述べて作った長歌です。
イチイガシは常緑の大高木で、カシ類では一番寿命が長く巨木になります。葉の長さは六~十五㎝で裏面に黄褐色の毛が密生し、四~五月頃黄褐色の雄花を多数つけた尾状花穂を垂らします。かつては槍の柄、船の櫓に用いられましたが、現在は器具材、建築材、運動具材等に、材は堅く加工しやすく形質も良好なのでカシ類中で最も有用されています。庭木、公園樹としても植栽します。
皇后紀伊国にいでまして 熊野の岬に到リて そこの御綱葉を取りてまゐ還る・・・
衣通王 巻ニ-90の左註
磐姫皇后は紀伊国にみゆきになり熊野の岬(和歌山県新宮市あたり)へ行き、そこの御綱葉(みつながしは)を取って帰った。
仁徳天皇三十年(三四二年)秋九月、衣通王は軽太郎女(允恭天皇の皇太子軽皇子の妹)の別名、この歌は古事記、日本書紀から引用しています。
みつながしはにはカクレミノ、オオタニワタリ、イチゴ類などがあげられますが、ここでは有力とされているカクレミノを取り上げました。カクレミノは葉の先が三裂していて形を蓑にたとえてこの名があります。常緑高水で若木や日陰の葉は深く三裂しています。朝鮮南部では樹液を黄漆といい塗料に、材は器具材、薪炭材に、また庭木、盆栽にします。
昼は咲き夜は恋ひ寝る 合歓木の花 君のみ見めや わけさへに見よ
紀女郎 巻八-1461
昼間は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれて寝るという合歓木(ねむ)の花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。
紀女郎(天智天皇の曾孫安貴王の妻、家持の知己)が家持に花とともに贈った歌。 ネムノキは落葉高木で、六~七月頃紅色の花が咲き、葉は日中は開き夜間などには閉じます(語源)。材は器具材、箱材、タンスの前板、下駄の歯等に、葉はゆでて食用に、抹香、牛馬の飼料に、煎汁は洗濯に、樹皮は利尿、強壮、鎮痛、駆虫などに用います。
わが背子が捧げて持てるほほがしは あたかも似るか青ききぬがさ
僧恵行 巻十九-4204
あなたさまが捧げて持っておいでのほほがしは、ちょうど青いきぬがさ(貴人の後からさしかける大きな傘)のようですね。
天平勝宝二年(七五〇年)四月の宴での歌。講師(国分寺の僧の最高位国師の別称)恵行は伝不詳。 ほほがしははホオノキの古名。ホオノキは花を開く数ケ月前に枝先に冬芽をつけ「ほほまった」ままの姿で冬を越すところからこの名が生じたのではなかろうか。落葉中高木で葉は大きく長さ二十~四十㎝、四~五月頃頂に径二十㎝近い帯黄白色の花をつけます。花の寿命は短く三日余りです。材は器具材、家具材、彫刻材等に、特に狂いが小さいことから指物用材に、木炭は漆器、金属等の細工研磨用に、樹皮の日干したものは生薬(利尿、去痰等)、染料、線香原料、葉は物を包むのに利用。森岡氏(故人、文化財専門員)の楢原山の山引苗を植え付けたが場所等で枯らしてしまい残念です。