万葉の森(48) 千疋峠

前回では町内に自生するカエデ科の葉のシルエット(影絵)を取り上げました。その中でチドリノキ、テツカエデ、ウリハダカエデなどは代表的なイロハカエデのような形をしていません。一方、カエデの仲間ではないのにカエデ そっくりの葉で秋には紅葉もする観賞価値のあるモミジバフウ(別名アメリカフウ)マンサク科の木が万葉の森に二本あります。名札がついていなかったらモミジの葉として採集するかもしれません。『葉でわかる樹木』という本ができていますが、この本では区別がつきにくいでしよう。
決め手は花が終わってできる実にあります。カエデ科の果実は翅果(→翼果)で、果皮の一部が翼状にのびた果実。風によって散布されます。(カエデ類、トネリコ類、ニレ類などに見られる。)マンサク科やスズカケ科の果実は集分果で多くの花の子房が結実し、それらが集まって一個の果実のような球状の形の実ができます。翼果であればカエデ類、鈴のような球果であればマンサクの仲間であると決められます。

もちろん葉が植物の名前の決め手になる場合は多いことです。落葉樹のように葉が落ちた樹木は新しい葉であれば葉で決められますが、万葉の森(四四)で木肌(樹皮)で樹木の名前が決められる写真を取り上げています。花が咲いている時には花が決め手に証人になります。香木のように特別な香気を発散する植物は草でも木でもよく覚えられます。一つ一つの決め手でなくて総合的に名前を調べるのは時間がかかることもありますが、その方がずっと満足感があります。他人に名前を教えてもらうのは時間はかからないが忘れるのも早いようです。

古くから千疋のサクラは四国の吉野といわれる桜の名所で、昭和十六年二月十三日(西暦一九四一年)国の名勝とされ今日に至っています。名勝指定から70年になります。サクラの寿命は六十年前後と言われていますので、当時の桜の巨樹は一本も残っていません。地元の人々 が次々と補植されましたが、日光のよく当たる歌碑の周辺の桜が細々と咲いていました。
サクラが枯れた跡地に若いサクラを植えてもうまく育たない事例は千疋峠だけでなく、朝倉村の頓田川土手の桜もそうでした。町内では玉川ダム周辺のサクラは今が盛りと咲き誇っていますが寿命の六十年が気になります。

奈良原神社のある頂上付近はそのままブナなどの自然林が残っているだけで、スギ、ヒノキの植林が盛んになって、千疋のサクラも一部分を除いて日光の当たらない所が多くなりました。

歌人吉井勇の『大君の桜咲きけりかしこみて、千疋峠の花をおろがむ」の歌碑が建っている北側あたりにヤマザクラ、ソメイヨシノ、オオシマザクラが細々と花を咲かせていました。

奈良原神社の方向に建てられた鳥居があり、以前はこの鳥居の下から奈良原神社のお宮を見て拝んでいました。現在は植林のために真っ暗で向こうは見えません。日が当たらなくなった千疋峠のサクラ、奈良原神社の拝めない鳥居など大きな大きな課題を抱えています。