春日野(かすがの)に 煙(けぶり)立つ見ゆ 少女(をとめ)らの 春野のうはぎ 採みて煮らしも
作者不詳 巻十-1879
万葉集中 二首
「春日野に煙が立っているのが見えます。少女らが春野のうはぎを摘んで煮ているようです。」
ヨメナは多年草。初秋、淡紫色の頭状花をつけます。若芽を食用。
葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ
志貴皇子 巻一-64
万葉集中 五十一首
「葦辺を行く鴨の羽がいに霜が降って寒さが身にしむ夕べには、大和が思われてなりません。」
集中、アシを詠む歌が五十首にのぼるのは、万葉人の目にとまることが多く、実用的な材料であったからでしょう。若芽は食用に、幹は垣根やすだれを作る材料とし、また燃料にもされていました。根茎は利尿・解熱など薬用にされ、現代でも有機肥料づくりの最良の材料にされています。 ヨシには川岸や砂質地に多く生え、地上に長いつるを伸ばすツルヨシと、湿地に群生し地上につるがないヨシのニ種類があります。(※万葉の池のヨシは前者のツルヨシです。)
天皇(すめらみこと)と太后(おほきさき)と共に大納言藤原の家に幸(いでま)す日に、黄葉(もみぢ)せる沢蘭一株を抜き取りて、内侍(ないし)佐佐貴山(ささきやま)君(きみ)に持たしめ…
(題詞(ことばがき)) 巻十九-4268
題詞に一例
天平勝宝四年(七五二)四月九日、孝謙天皇、光明皇太后共に藤原家の邸に入り、紅葉しているサワヒヨドリー株を抜き取って、内侍の女官佐々貴の山の君に持たせて、仲麻呂らにお与えになったときのことである…。
稲搗(つ)けば 皸(かか)る吾(あ)が手を 今夜(こよい)もか 殿の若子(わくご)が 取りて嘆かむ
東歌 巻十四-3459
万葉集中 二十六首
「稲を搗いてあかぎれのできたわたしの手を、今夜も御殿の若様が手に取って嘆かれることであろうか。」
農村の娘が、他所から来ている若者に恋をしている様子が伺われます。これは稲を搗く女性が歌った作業歌であり、労働歌であります。稲を搗く作業は、脱穀から精米まで含んでおり、当時は刈り取った稲束のまま、あるいは籾として貯蔵し、必要に応じて脱穀していました。
瓜食(は)めば子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ何処(いずく)より来(きた)りしものぞ 眼交(まなかい)にもとな懸(かか)りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ
(長歌)山上憶良 巻五-802
万葉集中 一首
「まくわうりを食べると子どものことが思い出される。それよりおいしい栗を食べると、なお一層思い出される。子というものは、一体どういう因縁で生まれて来たものなのか。子どもの姿が目の前にちらついて安眠させてくれない。」
億良の「子らを思う歌」と題する長歌で、子どもにとらわれている心情を歌ったもので干。うりは万葉時代にはマクワウリをいいました。 万葉花壇でも栽培しましたが収穫は一個でした。来年を期待しています。