万葉の森(6) 植物園づくり

標柱を立てた万葉植物について順次ご紹介していきたいと思います。

2 アオギリ [万葉名:ごどう(あおぎり科)]

ごどう日本琴一面 対馬の結石の 山の孫枝なり この琴夢に・・・

大伴旅人 巻五-810の序

対馬の結石の山(北端の一八三メートル)で産したごどうの孫枝で作った日本琴の一面、この琴が夢に・・・

この歌は大伴旅人(大宰府長官)が天平元年(七二九年)十月、藤原房前参議に琴を贈った書状に書かれた歌です。
ごどうはアオギリのことで植物学上キリとは全く違う仲間ですが、キリの意に用いられています。アオギリは元々中国原産で、愛媛県では佐田岬鹿島に自生しています。
落葉中高木で毎年階段状に枝を出します。材は家具、楽器等に、樹皮は強いので織物、縄、綱の原料に、また樹皮の粘液は製紙用糊や頭髪用に、種子は煎ったり煮たりして食用となります。

172 ヤマザクラ [万葉名:さくら(ばら科)]

あしひきの やまさくら花 一目だに 君とし見てば あれ恋ひめやも

大伴家持 巻十七-3970

山々に咲き匂う桜の花、その花を一目だけでもあなたと一緒に見られたなら、私がこんなに恋こがれることなどありましょうか。

この歌は、天平二十年(七四八年)三月、家持(大伴旅人の子、万葉後期の宮廷歌人、最も多くの歌を詠む)が親しい大伴池主(聖武朝の歌人)に贈った歌です。
万葉集には明らかに桜を詠んだとわかるものは四十六首あります。梅の歌百二十二首に比べると非常に少なくなっています。これが平安時代に編集された『古今集』では逆転しています。 桜は日本において中古以降、花といえば桜を指すほど代表的な花で、古代の農民は桜の花の咲き方でその年の豊凶を占った神木であったと言われています。
万葉時代(舒明朝六二九年~淳仁朝七五九年)の桜は野生種の観賞時代で、槙栽されるようになったのは平安時代(八OO年)以降で、現在のように広く植えられるようになったのは更に遅れて室町時代(一四OO年)以降です。各地に植えられた桜は天然記念物等として残されています。当町にも国の名勝に指定されている「千疋のサクラ」があります。かつては周囲三メートル以上の木が三割、大きなものは五メートル以上のものが生育していましたが、現在はほとんどが枯れています。
桜はばら科のサクラ亜属に属するものの総称で、日本の山野にはヤマザクラをはじめ変種や品種をあわせると約百種が生育しています。多摩森林科学園(東京都八王子市)には八ヘクタールに二百五十種、約二千本の桜の保存林があり二月下旬から五月上旬頃花が見られます。
桜は、花を観賞するだけでなく材は建築、器具、楽器、彫刻などの材料として、樹皮は茶筒、箱類、盆などを作る細工用に、内樹皮は日干して咳の薬に、オオシマザクラの葉は塩漬けにしてさくら餅に、八重咲きの花は塩漬けにしてさくら湯等々いろいろに用いられています。
最後にこの「万葉の森」を書くに当たっては、多くの書物等を参考にさせていただきました。主なものは伊藤博著「萬葉集釋注一~十一 ](集英社)、山川卓三・中嶋信太郎著「万葉植物事典」(北隆館)、林業科学技術振興所著「有用広葉樹の知識」です。